2009年に51歳で夭逝したヤスミン・アフマド監督が、再び注目を集める(※写真はイメージ)
2009年に51歳で夭逝したヤスミン・アフマド監督が、再び注目を集める(※写真はイメージ)
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 2009年に51歳で夭逝したヤスミン・アフマド監督が、再び注目を集める。現在、遺作も公開中。監督をよく知る杉野希妃さんに聞いた。

 杉野希妃さん(33)とヤスミン・アフマド監督の出会いは運命的だ。

「2006年の東京国際映画祭の会場で、知らないおじさんに『見られなくなっちゃったので』とチケットを譲ってもらったんです。それがヤスミン監督の『ムクシン』でした」

 その「ムクシン」に、杉野さんは号泣したという。

「彼女のすべての作品に通じますが、宗教や人種や国籍……何もかも超えて人はつながっていける、ということが描かれていた。『こんなにみずみずしい作品があるのか!』と衝撃でした」

●“境界”を包む優しさ

 1年後、ヤスミン監督が日本人の祖母をモデルにした「ワスレナグサ」を日本で撮影したがっていると聞き、とっさに手を挙げて、プロデューサーとして企画の実現に尽力した。

「初めて彼女に会ったときの印象はまさに“マザー・アース”。包容力があって、チャーミングで、大好きになりました」
 09年の春に日本でロケハンを終え、秋に撮影を控えていた矢先、ヤスミン監督は脳出血で倒れ、帰らぬ人となった。

「お会いしたときは元気そのものだったので、信じられなかった。ずっと泣いていました」

 遺作となった「タレンタイム~優しい歌」はまさにヤスミンワールドの集大成だ。高校の音楽コンクール「タレンタイム」で出会ったマレー系の少女とインド系の少年。だがヒンドゥー教徒である少年の母は、イスラム教徒である少女との交際を禁じる。

「私たちは国境や人種など、目に見えないものに線を引いてカテゴライズしようとする。でも『もともとそんな線はなかったよね?』と、ヤスミンは言っているんです。“境界”は私たちの心が生み出している。彼女の作品を見るとそう思えるんです。日本にルーツを持つ彼女自身がマレーシアのなかで闘った経験も関係しているでしょう。どこか“諦めた末の優しさ”のようなものが、魅力だと思います」

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