生死の際にいる難民と、島民の生活。この二つの世界は交わることがない。ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作「海は燃えている」を携えて来日したジャンフランコ・ロージ監督に、島村菜津さんが聞いた。
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イタリアのランペドゥーサ島と聞けば、欧州に逃れるアフリカ難民が流れ着く島ぐらいしか日本人にはイメージが浮かばないかもしれない。その島のドキュメンタリー映画なら、報道されない情報や当事者の肉声といった内容を想像しがちだろう。ところが、この映画はそうした期待をあっさりと裏切る。
物語には島でのびのび育つ少年が登場する。だが、少年は片方の目が極端な弱視だった。一方で難民の姿は、島民の背景のように描かれ、二つの世界は交わることなく進む。唯一、その接点にいるのが20年来、難民たちを看続けてきた医師だ。映画は難民問題を「情報」として捉えるのではなく、国を追われ、国境を自由に越えられない人々の苦境を、自分の頭で考え、感じることを喚起する。ドキュメンタリーの新たな地平を開く画期的な作品だ。
島村(以下、島):監督は島に1年半も暮らしながら、作品を仕上げたそうですね。あのサムエレという少年を見いだすのは大変でしたか?
●少年の内部の変化が鍵
ロージ(以下、ロ):サムエレとの出会いは、僕のひとめぼれのようなものでした。彼はいつも独りで、背中を丸めてとぼとぼ歩いている。かといって暗くもない。まるで少年の原型のような無邪気さで、現代人とは思えないような世界に生きている。彼に出会って、物語を構成し直すことにしたんです。映画の最大の出来事は、サムエレの弱視と、これが治っていくこと。少年の内部の変化を通じて何かを描けたらと考えたんです。
島:少年が鳥に語りかける場面は、魔術的ですらありますね。
ロ:「特撮か」とも言われたけどね。あの場面で少年は鳥と何を話したのか。少年はそれまでパチンコ遊びで撃っていた鳥をもう殺さない。その変化に映画の鍵があるのです。