今年もまたピーターからグリーティング・カードが届いた。奥様は睦子さん、二人の子供達も元気そうだ。78年にウエザー・リポート(WR)のレギュラー・メンバーになって間もなくこの史上最強のグループで来日、「ナイト・パッセージ」「ミスター・ゴーン」を発表したWR黄金期のドラマーとして注目度を高めた。
同時期に所属していたステップス・アヘッドのメンバーとしての来日の他、メイナード・ファーガソンやフレディー・ハバード、ジャコ・パストリアス等と「オーレックス」「斑尾」の各フェスティバルにも出演、たびたび日本を訪れる大の親日家だ。
91年の「マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル」に訪日する際ぜひ内山さんに写真を撮っていただきたい、とピーターの奥様からファックスが入った。所属事務所のマネージャーやレコード会社からでなく、ミュージシャン個人から依頼してくるのは希なことだ。
「もう10年以上になるのか、早いもんだね……」とぼく。「淋しくなっただろア・タ・マ。あの頃、WRで最初にあった頃はまだ充分あったのに……」メガネを取って~シャツを着替えて~スティックを持って~いろいろとポーズを変えながらぼくらはフォト・セッションを楽しんだ。
92年にリーダー作「スイート・ソウル」のピック・アップ・メンバーを率いて自己のグループで来日、一週間のクラブ・ギグで熱くしかも緻密なドラム・サウンドで楽しませてくれた。この時、始めて紹介された素敵な女性は、ぼくが想像していたとおりのミセス・アースキンだった。久しぶりの帰国だったのか、集まった何人かの友人とご主人ピーターのステージに見入る姿を見た。ドラムに向かうトップ・ドラマーに接するだけでは気付かなかったピーターのもうひとつの暖かさ、その側面を見たような気がした。
「ジョー・ザヴィヌルの記録と想い出のストーリーを本に書こうと思うんだ…」と、ピーターから久々突然の電話があった。ウエザーリポートのメンバーとして、ジョーに接して得たもの、音楽の事やツアーの記憶を、もう書き始めているらしい。
バンドの記録写真をたくさん撮影した僕のフォトストックを見て、この本の出版のことやアイディアを相談したいと言う。
「日本での休暇や、子供達が来たくなったら使えるように、もちろんこの本の執筆に専念するために、立川に小さな家を準備中なんだ。しばらく日本にいるから会えないかな? ムッツィー(奥様)と一緒に事務所を訪ねていいかなぁ?」
暑い夏の午後、事務所にやって来たピーターは、「初めて会ってからもう30年以上……」などと思い出話に花を咲かせる僕と奥様(日本語会話は楽でいい)を横目に……78年、80年、81年のウエザーリポート、それにオーレックス・ジャズFesやステップス・アヘッド、ジャコのビッグバンド、斑尾……コンタクト・プリントをルーペでのぞきながら、これもいい、これもこれもいい、と一心に付箋紙を貼り付ける。
「ウチヤマさんの写真と信頼を得て、ジョーの記録を書き続ける自信が沸いてきた。ジャコやウエザーリポートのストーリーも書けるかも知れない。」と興奮気味のピーター。貴重な記録がこうしてきちんと保存されたから、あの時代の素晴らしさを多くの人達に伝えることができる、と奥様も大変喜ばれてアースキン夫妻は帰って行かれた。
スキャン依頼の付箋紙が数百枚貼り付けられたコンタクト・シートが残され……僕は途方に暮れていた……。
ピーター・アースキン:Peter Erskine (allmusic.comへリンクします)
→ドラムス/1954年6月5日~