普段はわかり合えているはずの夫婦も、家事のことになると一転、闘争へと発展しがちだ。
「若い世代の人たちには、私たちのような不毛な争いをしてほしくない」
そう話すのは、関西地方でフリーランスとして働く50代の女性だ。夫は女性の社会進出については推進派なのに、自分の家のことは妻にすべてやってほしいと譲らなかった。
「それなら俺と同じぐらい稼いでこい」
「あの奥さんは仕事も家事もできているのに」
モラルハラスメントに耐えられず、一緒に暮らすことをあきらめた。その後、家事がトラウマになり、今もキッチンに立つのが苦痛だという。古い世代の人だから、と女性は言うが、冒頭の女性のように20代、30代でも状況が変わったとは思えない。
食事をして、お風呂に入り、着替えて、寝る──。毎日の生活について回る家事が、こんなにもストレスを生むものだった時代はあっただろうか。技術の発達で重労働ではなくなったはずなのに、やらなければ咎められ、分担争いは家族を暗黒のストレス状態へと突き落とす。この苦しさの正体は何なのか。
ひとつは先の女性2人のように、圧倒的な不公平さに納得できないことだろう。アエラ編集部が行ったアンケートでは、全体の8割弱の人たちが「家事が負担」だと答えた。しかも、女性では8割超、未成年の子どもがいる女性に限ると9割近くが負担感を訴える。もちろん「洗濯物を外に干すのは気持ちがいい」「料理は好き」などの声もあり、人によって、または作業の内容によって好き嫌いや得意、不得意がある。だが、それにかかわらず毎日一定の作業をこなさなければならないという義務感も、精神的な負担になっているようだ。
人気ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」では家事をひとつの「労働」ととらえ、それを担う妻に給料を支払うという契約結婚の夫婦を描き、大きな反響を呼んだ。そこでは家庭は「企業体」、夫婦は「共同経営責任者」と定義され、夫婦2人の「共同経営責任者会議」では、夫のリストラや妻の再就職による家計の見通し、その場合の家事分担などが話し合われるという斬新な内容だった。