アルコール依存、薬物依存などの依存症は、生活習慣などではなく、病気だ。個人の意志や心がけなどで対応できるものではなく、治療が必要なもの。近年、医療現場ではさまざまな試みが行われている。AERA 2017年1月30日号では、依存症治療の最前線を大特集。過去に、アルコール依存症におちいり、自殺未遂までしてしまった作家の月乃光司氏に、自身の体験を踏まえ、アルコール依存症について語っていただいた。
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25歳の時、大量の酒と精神安定剤、睡眠薬を同時に飲んで自殺未遂をして精神科に強制入院させられました。運び込まれた病院にたまたまアルコール病棟があったことは、不幸中の幸いでした。27歳で断酒してから、酒を飲まない人生を過ごしています。再発しないよう、週2回、自助グループにずっと行っています。自助グループに通うなかで、いろいろな方に会いますが、アルコール依存症者には、大きく分けて2タイプあると思います。ひとつは、営業マンの接待が典型ですが、長年ある一定量のアルコールを毎日摂取して依存症に至るタイプと、もうひとつは孤独から依存に至る「生きづらさ系」です。最近は後者が多いようです。
●治療の基本は自己分析
若い人の間では、「クロスアディクション」が目立ちます。アルコールと摂食障害と薬物とか、アルコールと自傷とか、複数の依存を持っていることです。ひとくちに依存といっても、「生きることができる依存」と、「生きることができなくなる依存」があります。死にたくなったら、誰かのファンになればいいと助言しています。私もそれで、随分救われました。
自助グループの基本は自己分析、自分語りです。自己分析は治療のプログラムに必ず関わってきます。共通しているのは、自分の歴史の確認。病院では酒歴を書かされ、自助グループのミーティングではいろいろなテーマについて順番に語ったりする。常に自分の歴史を語ることで、自分がかつてどうであり、いまどうかということを繰り返し反復するわけです。
2002年から、「病気でどう苦しみ、そこからどう回復したか」を話し、その病気に関するパフォーマンスを行う「こわれ者の祭典」というイベントをやっています。現在まで、アルコール依存症、ノイローゼ、うつ、幻聴幻覚、過食症、引きこもり、脳性まひ、リストカット、自殺未遂、パニック障害などの当事者の方が出演しました。これは自助グループの方法論をイベント化したものです。自分を語ることが他者との共感につながり、それを下の世代にも伝える。自助グループの案内も配り、継続的につながれる居場所を見つけてほしいと思っています。
以前、新宿のロフトプラスワンで開催した際は、若いゴスロリの女の子たちがずらっと最前列に座っていました。最初に「病気だョ!全員集合~!」と片手をあげるんですが、あげているその腕がみんなリストカットの痕だらけだったりするんです。そんな女の子たちが、イベントの後の交流会で自己紹介をするとき、とても嬉しそうな顔をするんですね。それまでそんなふうに自分を語ったことがないですから。
孤立の原因、生きづらさの原因が、そこで共感の手段になる。依存症の治療で重要なのはその部分です。言い古された言葉ですが、依存症予防には「居場所」と「絆」が大事なんです。
●素人判断は逆に危険
例えば肝臓が悪くγ-GTPの数値が悪いが、内科で治療を受けるとちょっとよくなり、するとまた飲酒して悪くなるということを繰り返す人がいます。本来ならそこで内科の医師がアルコール依存症と診断して専門の科に回すことができればいいんですが、なかなかそうはいかない。外科の患者でも飲酒運転で事故を起こすとか、飲酒で転倒を繰り返せば、原因がアルコール依存症である場合もあるでしょう。アルコール依存症という病気だとわかって、専門の病院か治療施設にかかれるかどうかは大きな問題です。
お酒に問題がある人が家族や身近にいたら、当事者は簡単には自覚できないものなので、家族や周りの人が専門家のところに相談に行ってほしいです。
家族や周りが本人を責めたり、あるいは世話を焼いたり面倒を見たりと、素人判断で対応すると、逆に飲酒を助長する可能性があります。イネーブラー(enabler、助力者)といいますが、アルコール依存症者が酒を飲むことを可能にさせる(enable)人になるケースがあります。自分で判断せず、地域の保健所や精神保健福祉センターに相談してみてほしいです。
飲んだ上での失敗などは、いまだに笑い話のように語られることが多いです。薬物依存のニュースが流れると「危ない薬を使わないでお酒を飲めばいいのに」という人がいますが、それは違います。お酒が安全なものという認識でしょうが、それは誤解です。アルコールは合法ですが、飲みすぎると危険なのだという意識はあったほうがいいんです。(談)
(聞き手/編集部・小柳暁子)
※AERA 2017年1月30日号