「機動隊に排除された学生や野次馬が細い路地に逃げこんだが、そこは行き止まりで民家の中に入りこんでしまった。でも、住民は彼らを警察に突き出さなかった。それぐらい、地域住民は学生に共感を覚えていました」

 野戦病院は69年12月に閉鎖された。現在は北区立中央公園文化センターとして外観はほぼ原形をとどめている。

 金さんは久しぶりに北園高校、野戦病院跡、王子駅を歩いてみた。当時は木造の民家ばかりだったが、いまはマンションが立ち並ぶ。道も拡張された。

「街に人の姿がほとんど見当たりませんね。当時は八百屋、魚屋、お菓子屋などがぽつんぽつんと並んで、軒先で花に水をやるおばちゃんが必ずいる。そんな街でした。デモに行くと声をかけられ庶民との距離が近く感じたものです」

 現在は中学受験進学塾で教えている金さん。15年夏は国会前の安保関連法案反対集会に通った。このときに参加者が王子の住民と似ていると感じた。いずれも組織ではなく個人の意志で参加していたからだ。

 水道橋駅から白山通りを神保町方面に向かって左側に日本大学経済学部1号館がある。この校舎を見上げると、いつも68年のことを思い起こしてしまうのが、大手保険会社元役員のKさん(66)だ。

「自分の生き方の原点を作ったのが日大闘争でした。仕事の上で不条理には納得しない。まわりの流れに迎合せず意思表示する。こういった自分なりの規範を確立してくれたのです。日大闘争は不条理との闘いでしたから」

 Kさんは68年日大経済学部に入学。大学近くにあった喫茶店、パチンコ店に通いながら授業に出る、当時としてはありふれた大学生だった。

 そんな日常生活がガラリと変わったのが、同年6月11日の経済学部1号館での出来事からである。

●バリケードからラーメン出前

 この日は昼すぎから、日大の使途不明金20億円に抗議するため数千人の学生が集会を開いていた。やがて校舎の高い階から、大学職員や体育会系学生が集会参加の学生めがけて鉄製ゴミ箱、砲丸などを投げ始め、あたりが騒然となる。まもなく警視庁機動隊がやってきた。学生の多くは拍手をもって迎えた。

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