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●ジャズ史の「読み直し」

 このところ、ジャズ史の「読み直し」に励んでいる。ジャズにまつわる「定説」は「定説」通りなのか、音をたよりに検証しているのだ。ビ・バップなどジャズ史のスタイル毎に、数十名のミュージシャンの演奏を時系列で聴いていく手法をとっている。アーリー・ジャズ、ビ・バップときて、イースト・コーストの白人ジャズに取り組んでいるところだ。

 きっかけは、昨春、ジャズ喫茶「いーぐる」で『アーリー・ジャズの巨人たち』と題する講演をもったことにある。常連から出た、ミュージシャンの系譜、アーリー・ジャズという要望を兼ねた講演だ。

 アーリー・ジャズは人並み以上に聴いてきたつもりだったが、手間のかかる「線聴き」のおかげで、個々のミュージシャンの「音となり」とアーリー・ジャズへの理解を深められた。いきおい、続く時代にも関心が及んだというわけだ。検証を通じて、ミュージシャンやスタイルばかりか、ジャズ全体についても見通しがよくなったと感じている。

 検証にあたってテイク毎にデータはとってきたが、論の体裁にはまとめてこなかった。講演はいつもアドリブだ。まとめておかなければと思いつつ、関心は次のテーマに移っていた。この機会にまとめてさせていただく。

 ただし、連載では楽器別の系譜に絞ることにする。少しは取っつきやすくしたいのだ。系譜を知らなくてもジャズは楽しめるが、知っていたほうが深く楽しめるのは確かだろう。まして、系譜はジャズで最も重視される個性の確立と密接に関わっているのだ。チャーリーやマイルスだって、最初からパーカーでありデイヴィスであったわけではない。誰しも模倣→葛藤→個性の確立というサイクルからは逃れられず、程度の差こそあれ先人の影響を受けているのだ。

 ミュージシャンの人となりに関心をもつ必要はないが、音となりには関心をもってほしい。ジャズはミュージシャンの「個性的な演奏を聴く」音楽で、それが醍醐味だ。個性の出発点は系譜に求められる。

 かつて、ジャズ誌やライナーノーツで系譜への言及はことかかなかった。いま60歳以上のジャズ評論家にとって、系譜を語れることは必須だったとさえ思える。系譜への関心が薄れたせいか、いまやソロ・オーダーの誤認すら珍しくない。諸先輩の再出馬は期待薄だろう。分野々々に精通したマニアはいるが、蓄積を独り占めするきらいがある。意味のある情報は誰かが伝えていかなければならず、ぼくごときが取り組まざるをえないのだ。

●時系列聴きはジャズ研究の王道

 連載には、ひとつの聴き方を伝えたいという思いもある。時系列聴きはジャズ研究の王道だ。遠回りに見えて近道でもある。凡演や駄演にだって意味のあることが知れるし、ぼくみたいな凡才でも確かな答えを得られるのだ。何にでも王道はある。「好きに聴きゃあいいんです」という詔からはタコツボ・ファンしか生まれないだろう。ジャズの演奏も聴き方も、その要諦は人から人に伝えられていくものだ。連載を通じて役目を果たせればと思う。

 ミュージシャンが個性を確立するまでを楽器別に検証していく。名演だとは限らない。 トランペット、トロンボーン、アルト・サックス、テナー・サックス、ピアノ、ギター、ベース、ドラムスは決まりだが、あとは走りながら考える。

 巨人や名手はもちろん、B級でも個性的なミュージシャンは取りあげたいが、たとえばトニー・フラッセラとフィル・サンケルの関係を指摘したところで誰が喜ぶ?という気もする。これは成り行きだ。

 時代は10年代から60年代前半が妥当なところだろう。改めて検証するので掲載は月一が限度だろうが、捗れば増やすつもりだ。慎重を期すが、誤りや的外れは大いにありうる。遠慮なくご指摘いただきたい。

 数十年来、ぼくがジャズに支えられてきたのはまちがいのないところだ。これまでも自分のできる範囲でジャズを守り伝えたいという思いでやってきたが、この連載で少しはジャズに恩返しができればと願っている。では、次回トランペットから始めさせていただく。

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