日中戦争の頃、旧満州・モンゴル国境での凄惨な記憶を掘り起こす元軍人・間宮を吹越満が見事に演じ、捕虜になって旧ソ連とモンゴル人兵士の前で上官が皮を剥がれる虐殺場面を語るに際しては、あたりに死と深い血の匂いが漂うような迫真性を感じた。
舞台に軽やかさを与える門脇麦の演じる女子高生・笠原メイの動きはまるで猫だ。当日、家を出る時に雨の中を自宅の飼い猫が甘えて僕を追ってきたのだが、その動きにそっくりだった。僕の自宅のそばにも水の出なくなった古井戸がある。普段は存在を忘れているのだが、村上文学に特徴的な「井戸」が登場するこの舞台を観て、その偶然に気づいた。そういえば、春樹さんはこう言っていた。
「『井戸』を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる」(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』新潮文庫)
『ねじまき鳥クロニクル』は失踪した猫と妻を捜すストーリー展開で、「時間」が重要なファクターとなっている。舞台上で、今と昔を行き来する不穏な「時計」に眩暈(めまい)が起きそうになる。
大友良英楽団のゆったりと昭和的でどこか懐かしい生演奏とは対極に、そこかしこの壁に掛けられた時計の分針が音もなく高速で時を刻む。「ねじまき鳥」とは樹上で世界のねじを巻くメタファーとしての鳥……。もし、ねじが巻かれなかったら、この世界はどうなってしまうのだろう。意識の底でつながる観客と語り合いたくなった。
※週刊朝日 2020年3月6日号