

自分の子育てに後悔のない人間など、いないだろう。作家として、そして母親として生きてきた96歳の佐藤愛子さんと、女優として、そして母親として生きてきた78歳の三田佳子さんが自らの子育てを振り返る。子育てとは、親子の葛藤と闘いの歴史なのである。
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佐藤:私は子育てについて自慢できることは何もないですよ。思い出すと呵責ばっかりです。
三田:私こそ、自慢できることは何ひとつありません。
佐藤:私の元の夫が会社経営に失敗して、家を出ていったのは娘が小学2年生の暮れのことでした。亭主はお人好しでウソつきという厄介な男でね。その尻拭いをする羽目になって、収入もないのに借金の肩代わりをしてしまったんです。もう子どもの教育どころじゃない何年かでしたから、いま思うと可哀そうだったと思います。いまになって生活が落ち着いてみると、あのときもっとああしてやればよかった、こうしてやればよかったと思うばっかりで……。
三田:私もそうです。
佐藤:小学校の頃、「あなたもうそろそろ試験のシーズンじゃないの?」と聞いたら、「昨日終わった」ってケロリとしている。勉強してる姿なんか見たことなかったんだけれど、私はとにかく借金返しのことで頭はイッパイで……。出ていったくせにお金だけは借りに来る亭主とケンカしたり、小説は書かなきゃならないし、休息するなんてことは全くない日々でした。そんなふうだから成績がいいわけがない。だから通信簿に2とか1とかあっても、私は何も言えない。怒れない。仕方なく「テストの点数で人生は決まらない」とか、「あの遠藤周作さんだって、赤点ばかりとっていたそうだけど、偉い作家になったんだから」なんてごまかすしかなかったんです。
三田:ごまかしていらしたなんて。全然そんなことはないと思います。
佐藤:だいたい佐藤家というのは常識を無視する家風があって。私も親から勉強勉強って言われずに育ってますのでね。困った家風なんですよ。ですから、そういう点は娘もラクだったと思います。でも娘が母親を本当に必要としているときも、私が無関心だったことはいっぱいあったに違いないと思うのね。それに耐えていたのね、彼女は。それが呵責のもとです。