ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は太陽の塔について。
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いつものごとく、よめはんが仕事部屋に来た。オカメインコのマキを頭にとまらせて寝ているわたしに、
「今日はお出かけですよ」「へっ、どこへ」「また忘れてるわ。個展です。○○ちゃんの」「わるいけど、ひとりで行ってくれんかな」「○○ちゃんは友だちやろ」「けど、眠たいんや」「却下します」
無理やり起こされて朝食(といっても昼前だが)を食い、車に乗って出かけた。目指すは三宮の画廊だ。○○ちゃんは京都芸大の同窓生で、花を主なテーマにした日本画を描いている。
個展はなかなかに盛況だった。作品はシンプルな構成で、花は瑞々(みずみず)しく、葉は生気があった。なにを描いて、なにを描かないか、余計なものをどう削(そ)ぎ落とすか、絵画は(特に日本画は背景も含めて)構成と構図がむずかしい。
わたしは一九七三年に京都芸大の彫刻科を卒業し、四年間、大手スーパーの店舗意匠課に勤めたあと、大阪府立高校採用試験を受けて美術の教師になった。学生のころの専攻は抽象彫刻だったが、美術教師はカテゴリーにかかわらず、いろんなことを教えないといけない。平面(油絵、水彩画、版画など)、立体(具象彫刻、抽象彫刻、その他造形)、工芸(染織、陶芸など)──と、基本は生徒に“創造させる”教科だから、自分なりに勉強はした。世界の美術史、日本の美術史を本で読み、染織や陶芸は染織工房や窯元へ行って、染めの技法や織機、轆轤(ろくろ)や釉薬(ゆうやく)など、イロハから教えてもらった。高校の美術準備室に窯を設置し、生徒が作った粘土の作品を徹夜で焼成もした。多くのひとがイメージする“美術のセンセイ”らしく、油絵だけを教えていればラクだったろうが、あのころは若かったからいろんなことに興味があった。教師をつづけながら夏休みには個展(ステンレスや真鍮=しんちゅう、石などを材料にした抽象彫刻)をし、ミステリーを書き、どうにもしんどくて退職したが、美術教師としての十年間はほんとにおもしろかった。わたしがいま、画家や彫刻家、古美術、骨董(こっとう)品を題材にしたコンゲーム小説を書いているのも、当時の蓄積があるからだと思う──。