真紅のバラの花束を手にしたカラヤンが入って来た。
野際さんと私が横に並んで出迎えると、ふと歩みを止め、バラの花束から二本抜きとって、野際さんと私の胸に。
こんなキザなことがぴったり似合う人は滅多にいない。
私達は何が起きたのかさえわからずポーッとして彼の後姿を見送っていた。
その後アンコールに応え、美しい新妻の元へ近寄っていくのを見送った。
その後どうやって寮までもどったのか。
それよりも、その時、カラヤンの振った曲は何だったのか全く憶えていない。
名古屋の独身寮の三階、四帖半の窓辺の机の上に、真紅のバラは枯れてもまだ花弁の朽ちるまで飾られていた。
後年ザルツブルクのカラヤン記念館で、ぎっしり積み上げられた楽譜の中に一九五九年のものを見つけた。
いったいあの時の曲は何だったのだろう。
床に愛用の自転車が一台。これに乗って練習場やホールへ通ったという。
※週刊朝日 2020年1月3‐10日合併号