その日、お互いに名乗りあったかどうかも覚えていません。その頃すでに私は大阪生まれで大阪育ちの河野多惠子さんと仲よしになっていました。二人とも丹羽文雄氏の主宰される「文学者」に入れてもらい、小説の勉強を始めていたのです。河野さんも大阪のいとはんにしては地味な重苦しい感じの人でした。なぜか私にだけは気を許し、重い口を開いて、何でも話すようになっていました。彼女の話は一から十まで文学の話です。大阪の女性の作家のことが一番気がかりなようでしたが、「暖簾」で世に出た山崎豊子さんと、あなた、田辺聖子さんが、彼女の当面のライバルのようでした。いつもほめるのは聖子さんのことで、

「あの人、ほんまに小説うまいんよ。はあっ! こう書くかって、うなるような書き方する」

 と一々例をあげて私に説明してくれるのでした。河野さんと私が、あなたの小説をどんなによく読み褒めていたかなど、聖子さん、あなたは知らないままで逝ってしまったことでしょう。

 それでも、若い女性作家を養成するという目的の「フェミナ賞」が出来た時、選者に、あなたと大庭みな子さんと、私が頼まれましたね。その時、大庭さんが、

「男の選者も一人いれたら?」

 と言い出したのです。すると、私の隣に座っていた聖子さんがすっと上体を寄せてきて、

「大庭さん、男すきやし、いれといたら、いれとこ!」

 と囁いたものでした。その場で、大庭さん推薦の藤原新也さんが選ばれましたね。

 大庭さんの御主人の利雄さんは、自分の仕事をなげうって自らみな子さんの秘書の役をかって出て、台所仕事まですっかりしてあげた模範の夫でした。みな子さんは夫運のいい人でした。しかし、聖子さん! 夫運の好さではあなたも負けてはいませんでした。カモカのおっちゃんがもし、あらわれなかったら? と思うだけでぞっとします。

 先妻さんの四人のお子さん連れのおっちゃんは、聖子さんにとってはサンタクロースのような人でしたね。おっちゃんがあらわれてから、あなたはそれまで以上に御自分の才能の花を押し開きました。容姿も若返り、文学と共にみずみずしくなりました。

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