2019年も残りわずか。今年も多くの人がこの世を去った。別れの言葉には、さまざまな思いが込められている。共に過ごした思い出、伝えられなかった気持ち。今、あの人に語りたいメッセージ。
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岡留安則さんへ
筒井康隆(作家)
※3月30日 東京都千代田区のアルカディア市ケ谷で(献杯の挨拶を元に書き下ろし)
■跡継ぎのいない岡留安則
いつも思い出すのは我が家での酒宴なのである。彼はいつも黙もくと飲んでいた。ビレッジセンターの中村満が飲み過ぎて、帰途我が家の玄関で顛倒し、帰宅してから服が血まみれなので「自分はいったい何をしでかしたのか」と驚き、岡留に電話をした。単に転んで自分で怪我をしただけだったのだが、岡留が意地悪く黙っていると、「自殺する」と言いはじめたそうだ。
頑固な棟梁、といった風格の岡留はいつも沈黙して、われわれの話すことやすることをじっと見守っていた。あの沈黙は相手に何かをさせずにはおかない沈黙だったのではないかと思えてならない。彼が「噂の眞相」編集室にやってきた危険な連中と対峙する時もああだったのではないかと想像するのだ。あの冷静さが彼の持ち味だったのだ。ひたすら謝りながらも、書くべきことだけは絶対に曲げないという姿勢は、柔軟さの中にこそ芯があり覚悟があるのだと思い知らされ、しばしば良識からの批判にさらされて相手が「正義の味方」であるだけにしばしばたじろがされる、ブラック・ユーモアを身上とするわが執筆活動のよき指針だった。「笑犬楼よりの眺望」を「噂の眞相」に連載している時に断筆騒ぎを起したが、あれも岡留の影響があったのかもしれない。あの時は支援の言葉をくれた。ずいぶん力づけられた。
彼の死を知ったときはとても寂しかった。紀ノ国屋へ食料品を買い出しに行った帰途、ここはもう岡留のいない世界だと思ってとても悲しくなり、両手に紙袋を持って歩きながら知らぬ間に空を見上げてわあわあ泣いていたことを思い出すのである。
その岡留の跡を継ぐ人物がいないとはどういうことだろう。「岡留安則を賑やかに送る会」で献杯の挨拶をさせられた時、彼の後継者がいないことに触れて、自分にやる気がないことに忸怩たる思いを抱きながら、もし誰かやろうという人がいれば支援するのだがと言ったのだがその後誰もあらわれず、一度だけ、私はやろうと思っているのですが、と言ってきた人がいたような気もするのだが、あれは夢だったのか、白昼の空想の中だけに登場した人物だったのか、それともどこかで会った実在の人物だったのだろうか。
※週刊朝日 2019年12月27日号