TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。フレディ・マーキュリーと松たか子について。
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松たか子さんにラジオドラマに出て頂いたのは長塚圭史作・演出の『音のいない世界で』だった。新国立劇場で上演されたものをラジオドラマ版として圭史が脚本を書き直したものだ。
松さんは大切にしているカバンを盗まれたことで「音」を失ってしまった主人公を演じた。カバンを取り戻すために一人旅に出た彼女と、同じく「音」を失いながらも彼女を追う夫の一夜の出来事。「音のいない世界」を「音だけの世界」のラジオが表現するとしたらどうなるのだろうと興味が湧いて、圭史にドラマ化を提案した。
子供向けのストーリーだったが、ラジオを通して冬休み中の小さなリスナーに語りかける松さんの声が素敵な年末特番になった。
松さんの舞台は欠かさず観ている。先日は「NODA・MAP第23回公演 『Q』:A Night At The Kabuki」に行った(東京芸術劇場)。
シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を下敷きにした、12世紀末の日本が舞台の物語である。源氏と平家という宿命のライバルの家に生まれた恋人同士の後日譚。
心を寄せた瑯壬生(ろうみお)からの恋文が、生き別れになって30年後に松たか子演じる「それからの愁里愛(じゅりえ)」に届く。
しかし、ラブレターには何も書かれていない。真っ白な便箋を手に愁里愛は恋人への想いを巡らし、想像の文字が生まれて物語が立ち上がる。
『ボヘミアン・ラプソディ』といったクイーンの楽曲がシェイクスピアをはじめとする古今東西の物語の橋渡し役となる。イスラム原理主義国の部隊を想起させる黒い衣装とライフルが登場したり、戦後シベリア抑留の凄惨な現場など時代の風景が時空を超えて万華鏡のように展開される様は、偉大なる異端児・野田秀樹の教養のなせる業だった。彼は常識にとらわれない(どころか、それを打ち破る)知性と、執着ともいえる細部へのこだわりで観客を美しいラビリンスへと誘う。