西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「病気になったら」。
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【ポイント】
(1)病気になるのは天の配剤だと考える
(2)見返りを求める祈りは本物ではない
(3)万物と一体となった「祈りに満ちた心」を
かつて免疫学の第一人者、安保徹先生と対談をして風邪が話題になったことがあります。私は風邪をひきそうかなと思ったら、すぐに葛根湯を服用して、症状がはっきりする前に対処するようにしています。危ない!という予感が大事なのです。症状が明らかになってしまったら、もう葛根湯は効きません。この話をしたら、安保先生はこうおっしゃいました。
「私は、風邪をひいたら、『ここのところ、忙しすぎたから、少し身体を休めなさい』という天の配剤だと思って、2~3日ゆっくり寝ることにしています」
病気を天の配剤ととらえる安保先生はさすがだと思いました。
病気を天の配剤として受け入れる姿勢は素晴らしいと思うのですが、風邪ならばまだしも、もっと重篤な病気の場合にもそういう気持ちになれるでしょうか。
例えば、がんが見つかったらどうでしょう。しかも、かなり進んだ状態で、手術などで治すのが難しいとしたら。そのときは何とか治したいと祈りたくなるのが、普通の気持ちだと思うのです。その病気は天の配剤かもしれないが、その天に対して、何とかしてくれと言いたくなるのが、心情だと思うのです。
ところが、心と自然治癒の関係を研究して世界的に知られるラリー・ドッシー博士は、祈りについて考察した著書『癒しのことば』(森内薫訳、春秋社)のなかで、「がんが治りますように」というような祈りは見返りを求める祈りであって本物ではないと説明しています。
ドッシー博士は、万物との一体感をもつ「祈りに満ちた心」こそが大事だというのです。