――作中では二つの才能を持っていることに対する批判も描いています。芥川賞受賞以来、又吉さん自身にそういう悩みはありましたか。

「僕自身が苦しむことも、悩むこともなかったのですが、(芸人も作家もやることについて)受け入れられない人や、そのことを処理できない人が一定数いました。『どっちなんですか?』『どっちかに決めてください』と言われることに、『なぜ決めなければならないのか』『どうして受け入れられないんだろう』と不思議でした」

「そのことを論理的に説明する必要があるのかと疑問を持ちながら、実際に説明しようとしているときの自分は、作家でも芸人でもない。この不毛な時間は何なんだという気持ちはありました」

――又吉さんが芥川賞を受賞し、二刀流を受け入れる素地ができたように思います。

「僕というよりは、ずっと前から皆さんいろんなことをやり始めていました。ドリフターズはバンドだったし、クレージーキャッツは音楽、お笑い、芝居もやっていて、表現する方法をその時々で選んでいました。むしろ、僕が芥川賞を受賞するまでの30年間に、芸人はお笑いだけ、ミュージシャンは音楽だけ、役者は芝居だけという概念が固まりました」

「そんな中でも、先輩の明石家さんまさんはドラマで大人気となり、ビートたけしさんは、僕なんかとは比較できないほど映画や音楽などさまざまな才能を開花させています」

――芥川賞という存在があまりにも大きいということですか。

「その部分だけを切り取ってしまうと、僕がすごいことをやったように思われるけど、生まれた時から小説家という人はいません。なぜ、大学在学中の学生が小説を書いて評価されたら、『おめでとう。君は今日から小説家だね』となるのか。医者が小説を書き、学校の先生が小説を書き……ということは自然な扱いで、どうして芸人が小説を書いた時に、取り立てて反応するのかが不思議です」

「学生の小説家が12歳の中学生から書き始めて、22歳で小説家になったとすると、下積みは10年です。僕は20歳からエッセーを書き始めて、その後もいろんな文章を書き、月に10本の連載を持っていた時期もありました。戯曲も書いて、エッセーだけで共著も合わせると5~6冊、短編小説も十数本書いています。それが下積みとして認められないなら、誰なら小説を書いていいのか教えてほしいくらいです」

「もっと言うなら、18歳で芸人の世界に入り、コントを何百本とつくってきました。コントは物語で、架空のキャラクターに架空のセリフを言わせるジャンルです。演劇とも隣接しているし、小説にも近い。まさか、芥川賞を取れるとは思いませんでしたが、芸人が小説を書くことに驚いてもらえるのは、本を実際に手に取ってもらえた人がいたのでラッキーやなと思う反面、なんで芸人だけがそうなるのだろうという気持ちはあります」

――出す作品がヒットを続け、プレッシャーも大きくなりますか。

「『火花』を書く前にも、文芸誌にいろいろ書いていましたが、全くニュースになりませんでした。その感覚があるので、正直、重圧は感じません。小説は、小さい劇場で新しいコントのネタを試すような感覚で書きました。それが、1発目で全国放送に持っていかれたので、それ以来すごく怖くなりました。『なにこれ?』『ありがたいことだけど嫌やな』って」

「それでも、書くことが好きなことに変わりはありません。誰にも頼まれていないのに、どこにも書いていないテキストを使って、劇場で朗読会みたいなのをやって、笑ってもらったりするのが好きです」(本誌・小島清利)

※週刊朝日オンライン限定記事