7歳のときにテレビドラマ「パパと呼ばないで」で子役デビューし、テレビで活躍するかたわら、自然農法にも挑戦している杉田かおる。そんな彼女がこれまでの女優人生を振り返った。

「小学生のころから社会問題を考えている子どもだったんですよ。小学校の社会科の先生に薦められて、有吉佐和子さんの『複合汚染』を読んで、ものすごく影響を受けました。それが、今の環境への関心につながってくるんですよね」

 2009年、ダイエットがきっかけで、オーガニック野菜に出会った。11年の東日本大震災後に一時、福岡に移り住んで自然農法に挑戦。世間を驚かせた。それもそのはず、“天才子役”と呼ばれたころから、土に親しむのとは程遠い波乱の人生。13歳のときには、独立し、設立した事務所が倒産。幼くして300万円の借金を背負っている。

「私の最初の“復活”は『3年B組金八先生』でした。そのころは、借金もあって低迷していましたが、この出演で運気の流れが変わったなと実感しました。中学生で妊娠する難しい役柄で、オーディションの面接で『あなたならできますよ』と言われましたが、実際、受かると返事するのに3日間ぐらいかかりました。わらをもつかむ思いでの再チャレンジでした。三度のご飯より、芝居が好きだったんです」

 この役が脚光を浴び、女優としての階段を駆け上がった。しかし26歳のとき、借金の連帯保証人になり、新たに1億円の借金を負う。

「どんな仕事でも受けようとしました。死体役もやりましたし、ハローワークがつくる失業手当の解説ビデオにも出ました。昔のファンがそのビデオを見て、久しぶりに私を思い出してくれた、ということもあったみたいですよ。

 ある日、旅番組で俳優の渡辺文雄さん(故人)とご一緒したときに、『杉田くん、人間の一番の不幸ってなんだと思う?』と聞かれたんです。やっぱりお金がないことかな、と思ったら、『退屈なんだよ』と。物事に好奇心を持って見ていけば、人間は退屈しない。芸能人だから売れたり売れなかったり、浮き沈みが激しい。でもそれに一喜一憂しないでいられる術(すべ)を教えてもらいました。私が子どものころは、二言目に『子役のくせに』がついた。子役はちやほやされる半面、差別の対象でもあって、普通には扱われてこなかった。だから逆境には強いんでしょう。

 大人になってからの転機は、自伝『すれっからし』を出版したときです。34歳でしたが、この本がきっかけでバラエティー番組に呼ばれるようになりました。それまでは役者として、決められた台本をどうやって演じるかを大事にしてきましたけど、本を通じて本音みたいなものを語りたいと思うようになったんです。

 そう思えたのは、仕事であまり行けなかった『学校』に再び通えたことが大きいです。自伝出版の半年前、お友達のつてで、東大大学院の環境学の石弘之(いしひろゆき)先生のゼミに参加させてもらったんです。週に1回、半年間通いました。試験も受けずに東大で学べると思ったらうれしくて。(笑い)

 ゼミの最後にはテーマの本を与えられて45分間の発表をしました。本の書き手が言いたいことを分析するのは役者の仕事。発表では、ドラマのつもりで起承転結のメリハリをつけました。そうしたら、『プレゼンテーション能力がある』って周りに褒めていただいて、しゃべることに妙に自信がついちゃったんです。役者という仕事を、違う形で生かせることに気づいたんです」

「浮き沈みの激しい」30代までの道のりも、そのあと農業に挑戦することも、実は早くから思い描いていた。

「10代ですでに、人生プランがあったんです(笑い)。30代までは華麗な人生を送って、40代は農業をやりたいと思っていました。50代は吟遊詩人のイメージ。波乱(はらん)万丈なわりに、自分の計画通りに来ている。どこかでつじつまが合っているんですよね。心はいつも不安定なんですけど、商売の種なのかなと思って、楽しむようにしています」

週刊朝日 2013年5月17日号