「いまだに、上皇ご夫妻が互いに思い合って人生を歩んできたことに懐疑的なひとたちも存在します。美智子さまは、この国会での応酬に、とても傷つかれたのだと思います」(前出の人物)

 世間では、皇太子さまがひたすら美智子さまを口説いた、といった純愛物語の印象が強かった。しかし、皇太子さまは最後まで、

「自分は、普通の結婚の幸せを保証してあげられない。皇太子という特別な立場にあって一番大事なのは公の義務であって私事はその次の問題である」

 そう言い続けた。

 前出の佐伯さんはこう振り返る。

「おそろしく生真面目で責任感の強い男性だと思うでしょ。でも美智子さまは、かえってそんなところを好きになった。きっとそうですよ」

 昭和から平成に移り、皇室の「恋愛」を見守る目も変わった。元東宮大夫の鈴木菊男氏は1994(平成6)年に出版された本で、徳仁天皇が皇太子時代に雅子さまと婚約したときの話にふれ、こんな文章を残している。

<昨年、皇太子殿下のご婚約が整い、「全力で守る」との心強いお言葉に涙とどめ得ず、お祝いに馳せ参じました。ご無礼な事ながら「陛下も守ると仰せられましたか」と伺うと、陛下は「いや、言わなかった」と仰(おっしゃ)り、皇后さまの方を本当にいとおしそうなお眼差(まなざ)しでご覧になり、皇后さまは「それでよろしゅうございましたよ」と、微笑(ほほえ)まれました>

 ご成婚から60年。上皇さまは、「皇后美智子さま」の活動を支えてきた。

 美智子さまが、力を注いできた活動のひとつに国際児童図書評議会(IBBY)の活動がある。美智子さまは、98年にインドのニューデリーであった大会に基調講演者として招かれたが、インドが核実験をしたことから訪問は中止になった。その代わりに、少女時代の読書体験についてのスピーチを録画して現地に届けた。当時、皇后が単独で海外に行き、さらに「講演」することも、ましてや録画してのビデオ講演も前例がなく、前代未聞だった。

「本来は天皇陛下の側近である侍従長を、この件の窓口につけるなど、皇后(美智子)さまの活動を全力で後押しされたのが(明仁)陛下でいらしたのだと思っています」(末盛さん)

 このときの講演は、美智子さまの著書『橋をかける』として世に出た。これまでにロシアや中国、タイなど8カ国で翻訳。2017年の、おふたりのベトナム訪問をきっかけに、ベトナム語版も出版された。

 愛情の形はさまざまで、夫婦の数だけある。世紀のご成婚から60年。相手の立場と活動に敬意をもって支え合ってきたおふたりに、学ぶことは多い。(本誌・永井貴子)

週刊朝日  2019年11月1日号