ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は幻の役満について。
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芸大のころの麻雀友だちが遊びにきたので、近くの店で食事をしたあと、家にもどって麻雀をはじめた。メンバーは、友だち、よめはん、わたし──。大阪では四人いても、三人打ちのサンマーをする。
午前一時すぎ、荘家(おや)のわたしにまとまった配牌がきた。□(注:白い牌=ハク)が三枚ある。
理牌(リーパイ)した。なんと、捨てる牌がない。
「なにしてんの。ボーッとして」よめはんがいう。
「いや、あがってるんや」
「なにが」
「天和(テンホー)」
もう一度、手牌を確かめて倒した。
「ゲッ」よめはん、驚く。
「てっ、てっ、天和」
わたしは立って万歳を三唱した。「者ども、この役満が眼に入らぬか。天下の役満、天和公なるぞ」
「へへー」友だちが平伏した。
「あほくさ」よめはんはブーたれる。
「写真や、写真。カメラ、カメラ」
わたしは仕事部屋にあがって、A4のコピー用紙に赤のフェルトペンで日付と時間を書き、『天和和了(ホウラ)』と大書する。
用紙を持って麻雀部屋にもどると、よめはんがカメラをかまえていた。わたしは椅子に座り、十四枚の手牌をきれいにそろえたのち、胸に用紙を掲げてポーズをとる。犯罪被疑者が逮捕後に撮影される逮捕写真のような気もするが、そんなことはかまわない。麻雀をする人間なら誰もが憧れる幻の役満、天和をあがったのだ。
「みごとやろ。輝かしい麻雀の歴史に、おれはまた新たな一ページを刻んだ。九蓮宝燈(チューレンポ―トー)をあがったら死ぬとかいうけど、天和をあがったらどうなるんやろな」
よろこび勇んで、わたしはいう。よめはんはカメラをおき、「ピヨコちゃん、いつまでもハシャいでたら恥ずかしいよ」点棒を数えて点数を書く。冷静だ。
──よめはんを初めて見たのは、京都今熊野の芸大近くの雀荘だった。当時は珍しい赤い髪、花柄のワンピース、煙草をくゆらしながら、レモンイエローのマニキュアをした指で牌をツモっていた。「どこのホステスさんやろ」わたしは思った。祇園や花見小路あたりで見かける垢抜けたふうはない。京阪七条あたりのスナックか。「こういうのとは知り合いにならんとこ」と思ったが、あとで日本画科の、それも同期の学生だと知り、いっしょに卓を囲むようになった。