ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は会食について。
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東京から編集者が来た。打ち合わせと称する話は十分で終わり、あとは編集者が予約してくれた北新地のすき焼き屋へ。その店はグルメとは縁遠いわたしでも知っている老舗だった。
仲居さんが卓においた肉は、一枚が週刊誌を縦割りにしたほどの大きさで、ほとんど白に近いピンク色だった。豚肉ではない。あまりにサシが多いため、そんな色に見えたのだ。
「すごいな。こんな高級な肉、はじめてですわ」
わたしはいいつつ、こらあかん、と思った。ただでさえ中性脂肪値とコレステロール値が高いのに、こんな脂の塊を食った暁には脳や心臓が詰まりはしないかと激しく怯(おび)えてしまう。恐怖しながら食うものが旨いはずはない。
仲居さんがつきっきりで肉を焼いてくれた。山盛りの砂糖を落として醤油をかける(大阪のすき焼きは普通、割り下を使わない)。適度に焼けたところで「どうぞ召しあがれ」と皿にとってくれたから、箸をとって口に入れたが、案の定、驚くほど脂っこい。それでも礼儀だから、さも旨そうに食してビールで胃に流し込んだ。「なんと、口の中で溶けそうですね」
──。口腹別男(くちはらべつお)とはわたしのことだ。
編集者は五十すぎがふたりと二十代がひとり。五十すぎふたりとわたしは肉を二枚ずつ食ったが、それ以上は箸がすすまない。最終的に大皿に残った肉はすべて二十代が食って、満足げな顔をしていた──。
編集者との会食で、なにを食べましょうか、と訊かれるが、わたしは食べたいものがない。だから、なんでもいいです、と答える。ほんとうの好みをいえば、炊きたてのごはんを茶漬けにして、キュウリの浅漬けでもあればいうことはないが、それでは会食にならない。おまけに糖質を制限しているから、鮨やパスタ類を食うこともあまりない。
わたしは子供のころ、肉と生魚が食えなかった。家ですき焼きをしても白菜やタマネギばかりつまんでいたし、父親の皿の刺身も食えない。牛乳もダメだった。