このままでは大きくなれないと、中学のころから牛肉と牛乳を練習した。高校で豚肉を克服し、大学あたりで鶏肉も打破したが、豚と鶏はいまでも得意ではない。誘われたら豚シャブくらいは食うが、焼鳥屋はこの四十数年、行ったことがない。フライドチキンも買ったことがない。
そう、和食でも中華でもフレンチでもイタリアンでも、会食となればどこでも行くし、出されたものには箸をつけるが、進んでメニューを見て料理を注文することはまずない。よめはんとふたりで外食しても、不味(まず)いと思った店はよく憶えていて、二度と行くことはないが、だからといって旨いと思った店に通ったりはしない。そもそも大阪の料理屋はどこも旨いし、旨くてもリーズナブルでない店はすぐにつぶれる。
しかしながら、わたしは小説で登場人物を大阪中の店に行かせる。鮨、ステーキ、鰻、蕎麦と、旨いものを食わせるし、その店にはモデルがあるが、わたしは馴染みの客ではない。常連客扱いされるのも苦手だ。
そうそう、ひとつ忘れていた。こればかりは喉をとおらないものがある。羊の肉だ。むかし、よめはんと新疆ウイグル自治区へ旅行して屋台のシシカバブを食い、羊の匂いにやられて、あとはなにも食えず、一週間で四キロ(よめはんは三キロ)も痩せた。
──と、ここまで書いて、ようやく気がついた。
「おれ、偏食爺やんけ」
※週刊朝日 2019年9月13日号