患者さんってすごいなあ、と思い続けてきました。主にその仕草や表情がそう思わせました。口にした言葉も心に残ります。
「早く終わりにしてください」
と言う患者さんは何人もあったし、今もあります。返事に窮することはありません。「その方向で」と答えた時でした。
「ダメ、今スグ」と返されます。その老女が「息子を呼んでください。頼みたいことがある」と言いました。相続に関することかと推測。病室から出てきた息子さんに「遺言でしたか?」と尋ねると、それは済んでいたそうで違いました。
「死ぬ前に、お前ともう一度握手したかった、と言って、握手してきました」。世を去る人、世に残る人の握手、心に残りました。
「自転車に乗りたいです」と言う肺がんの末期の元中学の校長先生がいました。組み立て式(約1万円)が妻の住む名古屋から届いて、うれしそうに病室で組み立てました。新品の小型自転車が病室によく似合いました。「乗ってきます」。診療所のまわりの路地を自転車で走りました。
「いいですね外は。空気がいい。風が頬をさするでしょ。犬を散歩させる人がいた。古い雑貨店、おばあさん、座っていました。道で子どもさん、遊んでましたよ」。朝になると診療所内の家族向けの台所でネギをトントンと刻み、豆腐の味噌汁を作ります。自分にかと思ったら、当直明けの看護師さんに「お疲れさん」と手渡しました。
「点滴は要りません」と言う老女もいました。一度に中止するわけにはいきません。徐々に点滴の種類を小さいのに変えました。「食事も要りません」。徐々に少なくしました。点滴は中止となり、お粥(かゆ)も「もういいです」。近所に住む娘さんが作ってきたオニオンスープを一口飲みました。その次の日かぼちゃスープ、その次の日味噌スープ。それぞれがいのちのスープ。そしてスープも「NO」になりました。一さじも口にできなくても娘さん、日替わりで少量のスープを枕元に運びました。
痰の音もうめき声もない静かな病室。寂しさ、悲しさ、戸惑い、そして尊厳が漂う病室でした。
やすらかな死を迎えるために、身体の苦痛が少ないこと、そのことが医療者には求められます。モルヒネ類の使用法、鎮痛補助薬などが使いこなせることが日々の仕事になります。おかしいもので、よーく話を聞き、使う薬についてよーく説明していると信頼関係が生まれてきます。