中をのぞいたら「あなたもですか?」と紙を渡されたんです。「俳優座付属養成所、第三期生 募集要項」とある。試験科目を見ると苦手な数学の試験もない。これなら受けられるかも、って。女優になろうなんて、これっぽっちも思っていなかったんですけどね。あのとき信さんに出会ってなかったら、私、なにになっていたでしょうね。

――俳優座養成所には1年上に小沢昭一さん、1年下に仲代達矢さん、その下には平幹二朗さん、市原悦子さんらがいた。

「俳優座の養成所に行くとニューフェースとは違う、美人じゃないけど個性的な人がそろってる」とうわさが広まって、映画監督が見にくるようになったんです。そして今井正監督の「ひめゆりの塔」の女学生役10人の一人に選ばれました。

 生まれて初めて映画という世界を経験しました。沖縄の悲惨な戦いのドキュメント本をたくさん読み、自分の住んでいるところが戦場になることの恐ろしさを知りました。その思いはいまも残っています。そうして女優への道を知らず知らず進んでいったんです。

 当時はニューフェースが流行していて、普通のお嬢さんを審査して主役にしていたんです。そのなかで私は俳優座の養成所出身だから「なんでもできる」と思われて、いろんな役をやりました。午前中に女子大生役、午後からは芸者役、とかね。

 でも養成所では特に演技を教えてもらっていないんですよ。毎日大学ノートを持っていって、フランス演劇とかシェークスピアとか座学ばかり。

 だから芸者の着物の着方や所作を衣装部で教わったり、小道具さんに「お酌の仕方を教えてください!」って頼んだり。全部、裏方のスタッフに教えてもらったんです。

 ある日、映画会社の演技科に呼ばれ、「あなたの演技はいいんだけど、主役を食わないでください」って言われたんです。でも「食う」って言葉を知らなかった。「食うってどういうことですか? 一生懸命やっちゃいけないってことですか?」って(笑)。

――演じるとは、女優とはなにか。それを考えるきっかけになったのは「ひめゆりの塔」だ。

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