
もし、あのとき、別の選択をしていたら──。著名人が人生の岐路に立ち返って振り返る「もう一つの自分史」。今回は、井上ひさし作の一人芝居「化粧」などで数々の賞に輝き、演技派と名高い女優・渡辺美佐子さん。抜きんでた力を備えているゆえに、駆け出しのころは「主役を食うな」と言われたこともあったそうです。そんな俳優人生は、一冊の本との出合いからはじまりました。
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小学4年生のときに『キュリー夫人伝』に出合ったんです。昭和7年生まれですから、まわりの女の人は、ほとんどが専業主婦。そのなかでキュリー夫人のように結婚して子どもを産んでから、偉大な発明をして、仕事に取り組む女性を知って感銘を受けたんです。
ああ、こういう生き方もあるんだ。仕事を一生続けていくっていいな。大きくなって結婚して子どもを産んでもずっと続けられる仕事をするんだ、と子ども心に決めたんです。それが女優だなんて思いもよらなかったんですけどね。
――東京に生まれ、父は卸問屋。5人きょうだいの末っ子として、のびのびと育った。12歳で終戦を迎えたとき、新たな「出会い」があった。
父が突然、バイオリンを買って帰ってきたんです。父は駅で降りてくる人を張っていて、そのうちにバイオリンのケースを提げた学生さんが降りてきた。うちの娘に教えてやってほしい、と頼んだのです。私はその方のところへ通うようになりましたが、その先生はのちに作曲家となる芥川也寸志さん。引っ越されるまで2年ほど相手をしてくださった。芸術家と会い、芸術の香りをかいだ貴重な経験でした。
後年、私がブルーリボン賞の助演女優賞をいただいたとき、芥川さんが音楽賞だったんです。「覚えていますか?」と言ったら「君なの? あのひざ小僧をいつもケガしていた?」って(笑)。あのころ私、テニスばかりしていたんです。
高校時代、姉に連れられて映画「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」を見たんです。姉は俳優の信欣三さんのファンになって。あるとき、私が電車に乗っていたら偶然、信さんが乗ってきた。「姉に言ったらどんなに喜ぶだろう!」と後をつけたんです。信さんは六本木で降りられて、薄暗い建物に入っていった。それが「俳優座」でした。