自宅で車椅子で過ごした。DVD鑑賞や自著へのサイン、マッサージなど、日課をこなすようにした。
「普通のことができるということが、ものすごい喜びだったようです。市原さんのお話を私が文字に起こして、原稿にして読んであげると至福の顔をしていました」(沢部さん)
昨年11月末、盲腸で入院。いったんは回復したが、1月5日に再入院した。意識がなくなる前日の7日、「ゴダイゴ」のリーダーのミッキー吉野さんらがお見舞いに病室を訪れた。
「『なんだかロレロレなのよ』と言ってろれつがまわらなくなっていましたが、ミッキーさんがここにいてくれるなんて本当にうれしい、と話していました」(久保さん)
半世紀余り連れ添った最愛の夫、塩見哲さんに先立たれたのは5年前の春。
「おばは、人の結婚式とかであいさつするときには『結婚は相性よ』と必ず言っていたくらい。塩見さんとは、よほど相性が良かったということではないかな」(同)
市原さんは久保さんに、
「塩見のお墓の隣に埋めてくれれば、なお、なお、なお、なおうれしい」
と、「なお」を4回繰り返して言った。それが最後の会話となった。1月8日からは呼びかけても、答えなかった。
1月12日午後1時半ごろ、市原さんは心不全で病院で亡くなった。四十九日のころ、夫が先に眠る、千葉県袖ケ浦市のお寺の樹木葬墓地に埋葬された。
「おじの隣に穴を掘って、くっつくようにして納骨されました。お墓の花の真ん中のプレートに2人の名前が書かれています」(同)
「生きる」ことを実感するとは、どういうことなのか。市原さんの闘病生活は物語っている。「まんが日本昔ばなし」(TBS系)でのナレーションや「家政婦は見た!」(テレビ朝日系)でおなじみの仕事ぶりも、愛され続けることだろう。なお、なお、なお、なお。(本誌・上田耕司)
※週刊朝日 2019年7月5日号