写真を撮るとき、多くの人が陥るのは、「その場の状況を自分の中で整理」することだ。この状況はこのように整理するとうまく写真になる、と整理してから撮ると、「面白くなくなる」と写真家は言う。「見たままの情景をとにかくまず撮る」ことだと写真家は教えてくれるし、自分でもそれを徹底しているつもりだという。

 表紙に使ってあるのは、こうしたことすべてをひとつの画面に収めた傑作だ。浅草の吾妻橋を墨田区のほうへ渡っていくと、左手の川のすぐ近くの建物の屋上にある、大きな金色のオブジェだ。このオブジェを5人の作業員がおそらく清掃しているところだ。

 そのとき浅草を歩かなければ、吾妻橋を墨田区に向けて渡らなければ、この景色に遭遇しない。この景色を目にした次の瞬間には、写真家はその景色を写真に撮ったあとだ。見事なものではないか。しかもその写真は構図や露光など完璧であるのは当然として、画面ぜんたいに漂う古典的なと言ってもいいほどの、由緒正しい雰囲気は、その日、その場所、というごく狭い範囲を楽々と越えて、広い普遍に到達している。

 この写真集に収録してある122点の写真を繰り返し観察していると、やがてかならずや明確になってくるのは、東京という場所が持つ、説明のつけようのないおかしみに満ちた謎の多さだ。

 なぜこれほどまでに、謎が多種多様に存在するのか。進むべき方向も、目指す理想も、自らのあるべき姿として思い描くものも、いっさいなにもない東京が、これだけの謎を生み出すとは。

週刊朝日  2019年6月14日号