ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。初回のテーマは「四十万回以上、ものを落として拾うてきた」。
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よめはんとふたり麻雀をしていて、点棒を床に落とした。拾う。ふと考えた。
「な、ひとは生涯に何回、ものを落としたり、拾うたりするんかな」
「そんなこと、誰も数えへんわ」
「おれはよう食べこぼしをする。日に三回は落として三回拾う。仕事をしてるときもパイプの灰やマッチを落とす。マキが落とした糞も、日に十回は拭く。一日に二十回として、一年で七千回以上やな。七千回かける六十年、おれはものごころついてこのかた、四十万回以上も、ものを落として拾うてきたというわけや」
我ながら計算が早い。原稿は遅い。
「かしこいね、ピヨコちゃんは。考えることが」
よめはんが褒めてくれる。うれしい。
わたしはなおも考えた。これまでに何回、金を落としたか……。
わたしは財布というものを持ったことがない。出かけるときはいつもズボンの左ポケットに裸の札、右ポケットにコインを入れている。右のポケットが破れていて中のコインが失くなっていたことは五年に一回か。麻雀をしたり、バーで飲んだり、ソファに座っていてポケットからコインが転がり落ちることはしょっちゅうある。ついこのあいだはよめはんとシネコンで映画を見て、車を駐めていたパーキングにもどったらキーがない。あわてて映画館にひき返したら、座っていたシートに千円ほどのコインと足もとにキーホルダーが落ちていた。
「ピヨコちゃん、お金を落とすのはかまへんけど、キーがなかったら、わたしは電車で帰るんやで」
「ちょっと待て。わたしは、というのはどういう意味や」
「ピヨコは電車なんか乗られへん。交番に行って落とし物の届を出さんとあかんやんか」
「なるほど。理屈や」
よめはんの頭に、いっしょに交番へ行くという考えはない。
学生のころ、友だちとふたり、京阪七条から学校へ行く道すがら、三十三間堂のそばでポチ袋を拾った。中を見ると四つ折りの千円札が入っていたから、これはほんまの御祝儀やと、ふたりでラーメンを食べたが、その翌日、(たぶん京橋駅で)二千円を落とした。バチが当たったんや、とラーメンをおごってやった友だちに笑われた。