常々私は、日本の商業音楽は無理して欧米に迎合せず、ドメスティックな存在をし続ける方が魅力的だし、いずれ本場の方から興味を示してくる時が来ると思っていました。気付いたら女装が本物の女性を凌駕している瞬間があるのと似ています。そしてそれは『非・本物』とされている側でなければ体験できない瞬間です。

 ドリカム(吉田美和)は日本人の夢を叶え、同時に日本人の限界を教えてくれました。今日もテレビをつければ流れてくる彼女の大きな声は、令和になってからも続いていくであろう果てなき日本人のモチベーションのような気がします。♪きぃっと~何年経ぁ~っても♪、日本人がマドンナやマライア・キャリーになることはないけれど……。だけど今や『洋楽』に距離や時差などない時代。マドンナだろうとマライアだろうと、手を伸ばせばすぐそこにある時代です。それに加えて日本にはドリカムもMISIAも島津亜矢もいるわけで、実は本場・欧米よりも遥かに音楽的選択肢は充実していると言えます。

 とは言いつつも、もし来年の東京五輪の開会式か何かで、ドリカムが宙吊りになって『決戦は金曜日』を歌いながら出てきたとしても、それを欧米の人たちにちゃんと説明できる自信はありません。グローバルって何なのでしょうね。

週刊朝日  2019年4月26日号

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