作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。今回は「日本のエロ」について。
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台湾で女性向けアダルトグッズ店を経営する女性と話す機会があった。アジア圏の女性経営者など、大げさでなく10人くらいしかいないのではないかと思うので、どれだけ話が弾むだろうかと楽しみにしていたのだけれど、私たちはまるでかみ合わないのだった。
例えばAVについて彼女は「ファンタジーだとわかっているから、AVのレイプ表現は安心して見られる」と楽しげに語り、私は「レイプ表現を娯楽として流通させることに違和感」と顔をしかめる。また、大手コンビニが成人向け雑誌の販売中止を決めたことに、「日本のコンビニには必ずエロ本があるのが面白かったのに!」と残念がる彼女に私は、「はぁ?」と驚くのだった。
あらら、私たち全く違うね……と笑いながらふと気がつく。語っているのは全て「日本のエロ」のことだ。
そもそも台湾にはAVメーカーがなく、AV=日本製だ。数年前、AV女優が印刷された交通系ICカードが発売され議論になったこともあるが、日本のAVは社会に浸透している。また台北では毎年アダルトエキスポが盛大に行われ、日本のアダルト企業がこぞって参加する。開会式ではAV女優や男優がレッドカーペットを歩き、握手会や撮影会にはファンが大挙して訪れる。男女カップルの来場者も少なくなく、そこは性の情報を楽しみ、AVの世界の人たちと触れあう性の祭典のようなのだ。
彼女が私に語る「台湾にある日本のエロ」はキラキラしていた。開放的で自由、それはまるごと性の肯定で、勇気のようなものすら感じる。そして彼女は私に心から不思議そうに聞くのだ。
「なぜ、コンビニからエロ本をなくしたいのか?」
食い違うことを覚悟で私は言葉を探した。彼女にとっての非日常であり、外国の文化であるエロが、この国では環境であること。街の中で、ネットの中で、生活用品を買いに行くコンビニで、エロは環境化している。それはモノ化された性の断片を押しつけられるような体験で、尊厳を奪われる暗い痛み。自由ではなく抑圧。そんな話をした。果たして通じるか?と彼女を見ると、ハッとしたように目を見開いてこう言った。