十三代目市川團十郎の襲名発表を受け、歌舞伎界が祝福ムードで沸き立っています。市川海老蔵さんは、稀代の歌舞伎俳優として注目される中、妻の死を乗り越え、2児のパパとして子育てにも奮闘。作家の林真理子さんが、歌舞伎界と子どもたちのこれからについて伺いました。
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林:今60代になっているはずの歌舞伎界の要となる方々が、次々とお亡くなりになったんですよね。でも、このあいだ演劇評論家の方が、「歌舞伎界はどうなるかと思ったが、次の幹が大きく育っている。海老蔵がその中心になるべきだ」と新聞に書いてましたよ。
市川:それでは補い切れない、計り知れない損失ですよ。私も今、大先輩に教えを請うてます。高麗屋のおじさま(松本白鸚)から「俊寛」を教わったり、玉三郎のおにいさんに「鏡獅子」を見てもらったり、播磨屋のおじさん(中村吉右衛門)に「熊谷陣屋」を教えていただいたり、音羽屋のおじさん(尾上菊五郎)に「め組の喧嘩」を教えていただいたりしましたが、そういう大切な「荷物」の受け渡し作業を必死にやらないといけない。父の荷物はずいぶんとやらせていただきましたが、勘三郎さんや三津五郎さんの荷物を、勘九郎さんや七之助君、巳之助君に渡す作業に、これから入らないといけないと思いますね。
林:そう考えると、市川家みたいに大きな名前が継承されていくって、本当にすごいことですね。
市川:実は父は名前の生前贈与をしたがっていたんです。父は私が35歳のときに旅立ってますけど、私が38歳ぐらいになったときに、團十郎の名を生前贈与しようと考えていたみたいですね。
林:まあ、そうだったんですか。お父さまが亡くなる数年前、NHKのドキュメンタリーを見ていたら、お父さまと口論なさってましたね。お父さまが「あなたはそう思ってるかもしれないが、もっとちゃんとした形でやってみなさい」って海老蔵さんを叱ってらして。芸をめぐっては、親子でこんなふうに言い争うんだなと思いました。
市川:お互い真剣なんでね。父は師匠だし、私は弟子に近い状況なんで、本来は息子が曲げなくちゃいけないことなんでしょうけれども、より良くするためにはこっちのほうがいいだろう、という私の考えもあったんで。それは父が言ってることが絶対正しいんですよ。だけど、「それじゃつまんねえだろ」というのが私の中にあったので、そこで言い合いになったんでしょうね。
林:でも、お父さまも亡くなる前には安心なさってたんじゃないですか。