「25年間やって、少し休みたくなったみたいです。パックパッカーになって、世界中をまわりたいと言っていた。ところがいざ沖縄へ行ったら、米軍ヘリが落下する事件が起きて、のんびりしている場合じゃないと基地問題について発信し始めた」(神林さん)
那覇市で飲食店「酒処 瓦家別館」を開き、沖縄にやって来るマスコミと現地の人をつなぎ、情報交換の場を提供した。
店に週1回通っていたというライターはこう話す。
「岡留さんは焼酎が好きで沖縄へ行ってからは泡盛を飲んでいた。ヘビースモーカーでしたね。店はスナックみたいな感じで、3~4人の女性が日替わりでカウンターに立っていた。ボトルを入れれば会計は千円で済むような、明朗会計の店でした」
岡留さんは16年9月に不調を訴え、病院で検査したところ脳梗塞(こうそく)と診断された。
「それからは店を閉店し、病院でのリハビリ生活が続いていました。昨年11月、肺がんが見つかり、余命3カ月を宣告されました」(川端さん)
亡くなる6日前に会った神林さんはこう話す。
「岡留さんは車椅子でしたが、苦しい様子はなかった。病院内で女性コーラスグループの沖縄民謡を聴くなど、元気そうにしていました」
急変したのは1月31日。
「最後は意識がない状態でしたが、音楽を聞かせると、涙を流していたようです」(川端さん)
かつては、「オレには野垂れ死にする自由がある」と入院を拒否することもあったが、最後は親族やスタッフらに温かく見守られた。
岡留さんが築いた反骨のゲリラジャーナリズムとスキャンダル魂はこれからも受け継がれていく。
(本誌・上田耕司)
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