そう考えた時に、東アジアを股にかけたっておかしくないわけで、秀吉の天下統一以後は規制されていきますが、海外との交易や渡航の自由がまだ残っていました。

──甚五郎は小姓の頃より鉄砲の名手、といった設定が生きていますね。

飯嶋:今の時代も、たとえば宇宙ステーションの開発はもともと軍事目的とされていますよね。つまり技術の進歩は戦争が求め、促す。そして、技術の進歩が時代を変える。

 たとえば、上巻に登場する二俣城主・大久保忠世などは、代々の家臣の家に生まれ、武威を誇っていた。長篠の戦いにも出陣した勇将です。しかし、だんだんと戦争の方法が変わり、大規模になると、政治や経済力がものを言うようになる。策謀家の本多正信、鉱山開発の技術を持つ大久保長安、そして兵站に長けた石田三成などの、出自もよくわからない官吏が力を持つようになった。

 求められる人材が変化する移行期で甚五郎も自分の意志とは別に、乞われて合戦の場や朝鮮半島へ連れ出されます。

──本作の魅力は、秀吉の朝鮮出兵、文禄・慶長の役を詳細に描いているところにもあります。豊臣軍から朝鮮軍に降伏し、今度は豊臣軍と戦った「降倭」の存在ははじめて知りました。

飯嶋:文禄・慶長の役を眺めていくと、どうしても、虐げられた人間、被害者の側に目がいってしまうんですよ。加藤清正の配下として出兵したのちに降倭となった岡本越後は、もともと清正に侵略された本の豪族・阿蘇家の武将。清正に従ったのも主君が人質に取られていたからですからね、主君がいなくなれば清正や秀吉に義理も恩もない。彼は朝鮮で出世して、子孫は現在も韓国に残っているそうです。

 甚五郎が朝鮮通信使として天下人の前に姿をあらわしたのも、朝鮮半島でそれなりの働きをしたからで、となると武功を立て、降倭として名を成したと考えるのが最もすっきりしたんです。

──李舜臣の亀甲船での海戦、加藤清正の城攻め、小西行長の右往左往ぶりといった戦争や兵器だけでなく、建築物や食事など、あらゆる面で書き込まれたディテールも本作を力強いものにしています。

飯嶋:実は、私は翻訳文学が好きで、例えばディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』を読むと盗人がジンを飲むシーンが印象的なんですが、当時飲まれていたのはジンでなくては、おかしい。あらすじだけではなく、その時誰がどこで、何をどう扱っていたかという細部を描いてこそ、人や時代が滲み出てくると考えています。

──ディテールが重ねられたからこそ、あの最後の数ページがとっておきのものになるんですよね。さて、これほどの労作の後ですが、次作も楽しみです。構想はあるんですか?

飯嶋:気になっているのは、田沼意次が政治の中枢にいた時代です。田沼政治は毀誉褒貶激しく、何が正しいのかわからないことが多い分、作家としては興味を惹かれます。平賀源内や司馬江漢など、面白そうな同時代人がいるのも書くのが楽しそうです。

(構成/伊藤達也)

週刊朝日  2019年1月4‐11日合併号