でも、もし、あのまま彼女と幸せに結婚でもしていたら、おそらく芝居はやめていたでしょう。たとえ共働きであっても、かみさんに食わせてもらって役者をやる、みたいな状況は、僕のような性格の男にはできない。
それに彼女と別れたことが、役者としてのバネになったことは間違いありません。「金色夜叉」の貫一じゃないけれど「絶対、芝居で世間に知られるようになってやる!」って。
いま振り返れば、あの出来事もプラスに思えるんです。それに、落ち込んでいる僕を見て劇団の先輩が「ああ、よくあることだよ。ハハハ」って(笑)。これもなぐさめになりましたね。
――本当の相手は、すぐそばにいた。文学座の先輩である女優・倉野章子だ。舞台をはじめ、数多くのドラマ、映画に出演している。
役者としては彼女のほうが先に売れていたんです。「ポーラテレビ小説」で主役もやっていましたしね。
そんな彼女と別役実さんの舞台を一緒にやることになった。彼女はリヤカーを引いて出てくるおばさん役で、生活感を出さなきゃいけない。いわゆる「世話の芝居」というものですが、でも彼女はそれが苦手だったんです。お姫様やお嬢様の役ばかりやっていたから。
僕はそれまでに別役さんの芝居を2本やっていたので、後輩のくせにめちゃくちゃ彼女にダメ出ししたんです。反発されてもおかしくないのに、彼女は素直に聞いてくれた。
その舞台はすごく評判がよくて、すぐ再演になりました。彼女は十分にできるようになっていたから、僕はもうダメ出しをしなかった。そうしたら周りが「なんだよ卓ちゃん、あっこちゃんにダメ出ししないの? 好きになっちゃったんじゃないの?」って。小学生みたいですけど、はやし立てられて、その気になっちゃった(笑)。
結婚して子どもができてから、彼女は12年間、役者を休んで子育てに専念してくれました。僕は仕事と舞台に集中できた。本当にありがたいと思っています。
――角野の役者人生の始まりは、中学2年の冬。卒業生を送る会で、初めて舞台に立った。