もしあのとき、担任の内藤先生が「芝居をやろう」と言わなかったら、いまの自分はないかもしれないですね。内藤先生は英語を教えていて、ほかのクラスもうらやむくらいの人気者だった。教え方も上手だし、ダンディーで、僕も大尊敬していた。

 演目はモリエールの喜劇で、僕はいい役をもらったんです。終わって友人たちは「よかったよ」って言ってくれたけど、内藤先生には直接、何も言われなかった。でもその後、母親が個人面談に行って「内藤先生があなたのお芝居をすごく褒めていらしたわよ」と言ったんです。この一言がものすごくうれしかった。

 で、その後、芝居をやることになっちゃった。高校、大学と演劇部に所属して、特に大学では授業には全然出ず、演劇ばかりやっていました。

■つかこうへいや別役実の舞台を次々

――大学卒業後も就職するよりは、芝居を続けたいと思った角野。大学3年のとき、進路を決めるべく行動を起こす。

 小劇場を選ぶべきか、文学座のような新劇の養成所に入るほうがいいのか悩みました。そのころ僕が好きだったのは、新劇ではなく小劇場だったんです。そこで小劇場の「早稲田小劇場」と新劇の「文学座」の試験を受けたら、両方受かっちゃった。

 小劇場の芝居が好きだけど、小劇場では役者として食えないことはわかっている。みんな仕事をしながら役者をしていましたから。悩んだ末に「早稲田小劇場」に相談に行ったんです。女優の斎藤郁子さんが応対してくれて「あなたはプロの俳優になりたい気持ちが強いから、たぶんうちに入っても、やめるだろうね」と。文学座に心を決めましたね。

 でもちょうど古典的と言われていた新劇の世界も変わる時期だったんでしょうね。新しい芝居に対して積極的だったんです。まさか文学座でつかこうへいさんや別役実さんの舞台を次々にやるとは想像だにしていなかった。劇団にいながらどちらの世界も経験できたことは、いい経験でした。

――入所して座員になるまで5年。35人いた同期は2人しか残らなかった。24歳で初舞台を踏んでからは、狭き門をくぐってきた自負と、学生演劇の経験から芝居を多少「わかった」つもりにもなっていた。だが25歳のとき、共演した看板俳優・北村和夫から強烈な洗礼を受ける。

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