緊急手術がおこなわれた後、20日間も意識不明の状態が続きましたが、一命は取り留め、意識を取り戻しました。しかし、さまざまな後遺症が残ってしまいました。退院後もリハビリテーションを続け、うまく発音できない構音障害や片まひはかなり回復しましたが、失語症は症状が重く、なかなか改善しませんでした。大川さんは、こう説明します。
「ほかの人の話を聞いていても、90%くらいの言葉の意味が思い出せないので、話の内容がぼんやりとしか理解できないのですね。自分が何かを伝えようとするときも、頭の中で言葉がうまく見つからないことが多く、コミュニケーションでは苦労しています」
大川さんは後遺症として、両眼の視野の左半分が欠ける視覚障害にも悩まされてきました。さらには、てんかんも発症し、痙攣(けいれん)の発作にたびたび襲われたため、それを鎮める手術も受けています。
■MSWのサポートで職場復帰も果たす
大川さんは13年5月から初台リハビリテーション病院の外来リハビリに通うようになり、14年春ごろから担当となった笠井氏に、生活上のさまざまな課題解決をサポートしてもらうようになりました。
「私の場合、ほかの人とのコミュニケーションが難しいので、役所への障害年金の申請手続き、院内スタッフへの橋渡しなど、あれこれサポートしてもらいました」
と、振り返ります。16年2月には念願の職場復帰を果たしました。
「笠井さんが、私の病態や生活状況などを会社に的確に伝えてくれ、会社の担当者とも相談して、私の受け入れ態勢を整えてくれたので、すごく助かりました」
復帰後は休職前の部署から配置転換となり、勤務形態も変わりましたが、理解ある上司のもと、新しい仕事に積極的に取り組んでいます。
「もう一度働くことができ、感謝の気持ちでいっぱいです。できるだけ迷惑をかけないよう、いろいろ工夫しています」
と、大川さん。
たとえば、同僚と話していて、内容がわかりにくいとき、「この部分はわかりましたが、ほかはわかりません」といった具合にはっきり伝えるそうです。また、Eメールなどの文章は、名詞や助詞などに分解し、わからない言葉を辞書で調べたり、周囲の人に教えてもらったりして意味をつなげ、理解するようにしているとのこと。
職場に復帰してからも、笠井氏は大川さんを支援しているそうです。歩行をスムーズにおこなうため、足の補助装具を作るのを手伝ったり、言語障害の人を支援するNPO法人も紹介したりしています。
「笠井さんは、 『あなたの自立を手助けしているだけですよ』といいますが、かゆいところに手が届くような彼女のサポートがなければ、私も社会復帰はできなかったのではないかと思っています」
と、大川さんは満足げに話しました。
◯取材協力
初台リハビリテーション病院SW 部門チーフ
笠井世志子氏
(文/野澤正毅)
※ 週刊朝日ムック「突然死を防ぐ脳と心臓のいい病院2019」から