「休場か、引退か、あの日のわれわれは両にらみでいたので休場自体は想定内でしたが、横綱本人が出てきて発表するなんて珍しいことでね。ファンへのお詫びも口にしましたから、一人横綱としての最低限の責任を果たそうとしたんでしょう。潔いな、と思いました」
大相撲九州場所5日目の11月15日の朝、稀勢の里自身が休場を発表したのを取材した相撲記者はこう語った。
好調と伝えられた前評判を裏切って、何と“87年ぶりの横綱の初日からの4連敗”という歴史的な屈辱にまみれた稀勢の里。マスコミは、引退という事態も想定していたというのだ。
稀勢の里は初日に貴景勝に敗れた相撲で右膝を痛めたそうで、「最後まで務めるのが責任だと思っていたが、体がついてこなかった」。そして4連敗を喫した晩、師匠の田子ノ浦親方に対し「このままでは終われない。チャンスをください」と訴えたという。
「2日目、3日目の相撲が左半身になっていたので、右が悪いんじゃないの?と言ってたんです。だから初日に右膝を痛めたと聞いて、なるほど、やっぱり、とは思いました。もっとも、初日に難敵の貴景勝相手に勝ってたら全然違う展開になったでしょうね。ノミの心臓と言われる稀勢の里が白鵬と鶴竜の休場で一人横綱となった時点でプレッシャーが大きいことは予測できましたし、初日に当たったのが貴景勝という厳しい相手だったのも番付どおりで仕方がない。そこで勝てなかった、ということが全てですよ」(前出記者)