沢田研二の公演中止をめぐり、ネットやテレビは一時、大炎上。芸能リポーターたちは「スター後遺症、裸の王様。芸能界の老害」「本人の見えの問題。最低な歌手」などと言いたい放題だった。そうした批判は妥当だったのか。
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ジュリーはさいたまスーパーアリーナでの公演(10月17日)を中止した翌日、横浜市の自宅に詰めかけた報道陣に対し、事情を説明した。
「9千人と聞いていたのに、7千人しか入っていなかった。客席がスカスカの状態でやるのは酷。『やるならいっぱいにしてくれ。無理なら断って』といつも言っている。僕にも意地がある」
ジュリーの芸歴は長い。スカスカのステージも幾度となく経験してきた。04年のツアーの水戸公演でも、演歌系イベンターが集客に失敗し、当日に中止にしている。そうした経験則も踏まえての決断だった。
関係者が言う。
「事務所がおわびの文章をメディアに配れば済むところを自分でカメラの前に立った。それだけ責任を感じてもいたのでしょう」
ジュリーが説明した直後、ワイドショー御用達の芸能人たちは「意地があるなら痩せろ」「カーネル・サンダースのようだ」などと嘲笑した。
もちろん、突然のキャンセルに立腹したファンもいただろう。だが、ドタキャンされた当事者も含め、ファンの間では「ジュリーのことをよく知らない人たちが好き放題に発言している。外野は黙って」との声も上がっていた。
“よく知らない人”のために説明しておこう。
ジュリーは1967年、ザ・タイガースのボーカルとしてデビュー。グループ・サウンズの頂点に立ち、翌年に日本初のスタジアム公演を後楽園球場(当時)で実施。71年の解散時には、日本人バンドとして初めて日本武道館で公演をした。
71年にソロ活動を始めてヒット曲を連発。大手事務所から独立する85年までの15年間で、シングルの売上枚数は1226万枚にのぼり、森進一や山口百恵、松田聖子、サザンオールスターズなどを抑え、1位。その間、当時の常識を破り、テレビ局の「お抱え」でない自前のバンドで歌番組に出演。客席にパナマ帽を投げ、ナイフを手に歌い、口に含んだ酒を噴き出し、カラーコンタクトをつけ、電飾の衣装でパラシュートを背負うなど奇想天外な演出を続けた。欧州にも進出し、フランスでベスト10入りをはたした。