とはいえ、国は放置はできないだろう。日本銀行の金融広報中央委員会が毎年発表している「家計の金融資産に関する世論調査」によると、1997年は10%だった「貯蓄なし世帯」は、アベノミクスが本格化した2013年以降、30%を超える水準が続いている。3軒に1軒が貯蓄のない「貧困世帯」だからだ。

 穂積さんはその一例に過ぎず、将来の生活保護予備軍は全国各地に拡大中と言っても過言ではあるまい。「明日は我が身」なのである。

 生活保護の受給決定後に穂積さんと会った時は、経済的な不安が解消されたためか、表情は明るかった。

「今まで身の回りの世話は女房の妹さんに頼んでいたんだけど、今は断って、炊事、洗濯を自分でやるようになってね。洗濯機を初めて使ったよ」

 その後、来年5月の名古屋御園座での1カ月公演が決まった。時代劇の舞台。穂積さんは家老役だ。

「過労で倒れないように、今から体力作りをしないとね」

 オヤジギャグを言う気力はあった。それと同じ時期に、「遺言」として、これまでの俳優人生、そして「積木くずし」以降の家族のことを一冊にまとめたいと相談された。

 だが、7月28日、胆のうがんが発覚。すでにステージ4にまで悪化しており、自宅近くの大学付属病院に緊急入院した。

「7月16日に渋谷で『はーとふる・はんど』の手話イベントがあった際、穂積さんが暑い中、あいさつに来てくださったんです。でも、シルバーグレーだった髪の毛は薄くなり、やつれた表情でした。お客様の中にお医者様がいて、『穂積さん、黄疸が出てるんじゃないか』と心配されてました」(前出の山辺ユリコさん)。

 だが、入院については、本人たっての希望で伏せられた。
「『積木くずし』で僕や家族の人生は狂ってしまった。原因を作った僕のような人間は、誰にも知られずに死んでいったほうがいいんだ」
 穂積さんの口癖だった。そして見舞いにきた付き人の手を握り、温もりを確かめるように「由香里」と愛娘の名前を何度も何度もつぶやいたという。

 10月19日午前3時32分、最後の時を迎えた。看取ったのは、唯一の肉親である姪と最後の付き人、そして元付き人の3人。遺体は、2年前に申請してあった都内の大学病院に献体された。(高鍬真之)

※週刊朝日オンライン限定記事

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