「事件直後は、まるで私が犯人であるかのような報道をされましたので、自宅だけでなく、和歌山の実家にもマスコミが押し寄せました」――。そう話すのは「紀州のドン・ファン」こと、和歌山県の資産家、野崎幸助さん(享年77)の怪死事件で、野崎さんの55歳下の妻と共に第一発見者となった家政婦の竹田純代さん(67)。独占取材に応じ、野崎さんに仕えた30年、そして事件当日について語った。
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──家政婦として和歌山に通うようになったのはいつごろですか?
2016年からだと思います。六本木で一緒に店をやっていた人が脳梗塞で倒れてしまって、店を閉めなければならなくなりました。野崎社長は「お金を貸してやるから店をやりな」と言ってくれましたが、私は60歳を過ぎており、借金をしたら子供に迷惑がかかるかもしれませんので断ることにしました。そう伝えると、「よかったら和歌山に月に数日でいいから来てくれんか」と頼まれたんです。
──家政婦としての仕事についても教えてください。
家の掃除と食事を用意するのが主な仕事でした。1日1万円の日当で月に10日間通っていました。ただ東京から和歌山へ行くときはチケットを送ってくるのですが、帰りの交通費については知らんぷり。年齢を重ねてもケチなのはやっぱり変わりません。もしかしたら「帰ってほしくない」というのが本音だったのかもしれません。
──お手伝いさんは他にいなかったのですか?
野崎社長は大切な物を盗まれたりするのが怖かったようで、あまり人を寄せつけませんでした。私と社長は長年の関係がありますので、誰よりも信頼されていたと思います。
──下のお世話もされたとか?
はい。それだけは本当につらかったです。病気のせいで大も小もオムツに漏らすのですが、吸収しきれずに廊下やお風呂にこぼれるんです。それを掃除するのも私の役目。数年前に私と外国人の女性と野崎社長で温泉に行ったことがありました。別の部屋で休んでいたら、その外国人の女性が「帰る!」って飛び出してきたんです。部屋に行くと、お風呂に排せつ物が浮いていました。その女性は一目散に逃げて帰りました。若い彼女にはショックだったと思います。野崎社長はパーティーに出席する機会も多かったので、そんなときに背の高いきれいな外国人の女性を連れていきたがりました。