──何の音ですか?
私はてっきり社長が、Sさんが来ないことに寂しがって怒っているのだと思っていました。すると突然、Sさんが下りてきて「社長が……」と言うので、2階に行くと、野崎社長はお風呂から上がったばかりの姿で死んでいました。「社長どうしたの!」と体を触ったら冷たくて、肩を揺さぶったら体はカチカチに固まっていました。
──和歌山県警は野崎社長の死因を急性覚醒剤中毒と発表しています。彼が自ら摂取したと思いますか?
私も疑問に思っています。長い付き合いになりますが、覚醒剤を使っていたような様子は全くありませんでしたし、そんなうわさを聞いたこともありません。ただ野崎社長は性的な機能が失われてきたことを悩んでいました。Sさんと結婚する前から長く付き合っていた30歳くらいの女性がいたのですが、その女性は「社長は機能しないからいつも大変。5万~6万円じゃ割に合わない」とよく愚痴をこぼしていました。もしかしたら、覚醒剤を使えば、機能が回復するかもしれないと考えて使ったのかもしれません。誰か身近な人が、そうした情報を伝えたら、野崎社長は覚醒剤を使ってしまうかもしれないと考えたこともあります。
──野崎社長の遺言状に「全財産を田辺市に寄付する」と記されてあったという報道も。竹田さんに遺産は残されていたんですか?
私は一円も受け取れないと思います。私はいま、知り合いが経営している銀座のスナックで働いています。毎月の収入はそんなにぜいたくができる金額ではありませんが、でも、正直な話、昔から野崎社長の世話をしてきた従業員や私には退職金のようなものが少しくらいあってもいいのではないかと思います。10万円でも20万円でもいいんです。突然の死でしたので、残された私たちもいまだに戸惑いを隠せないでいます。
──亡くなった野崎社長に伝えたいことはありますか?
私と野崎社長の関係性を表現することはとても難しいのです。仲間と呼ぶべきか、戦友と表現すべきか。ときには母親のような感情になるときもありました。もしかしたら私は、男女の関係でもなく、お金でもつながっていない唯一の人物だったのかもしれません。好みの女性や従業員の前では格好をつけていばっていましたが、私の前では弱虫で孤独な一面を隠さず見せるときもありました。事件から半年近くが経ち、改めてこの30年間を振り返ると、たくさんの思い出がよみがえってきます。いまはまだ話せないことも少なくありません。