いまの天皇の退位をめぐる議論ではありません。
93年の「諸君!」12月号に掲載された加地伸行・大阪大学名誉教授の論文です。平成が本格的に船出し、東南アジアや中国を訪問した時期に、守旧派は平成の皇室に対する批判を強めました。そして、バッシングは皇后に集中していったのです。
「皇后の役目は、ダンスでもなければ災害地見舞でもない」(加地氏)
天皇、皇后は傷つき、
「だれもわかってくれないのでは」
と孤立感を抱いたようです。
ただ、皇后が倒れ声を失ったのは、バッシング報道で自らを見失い、くずおれたという単純なものではないと、私は思っています。
「最終的な引き金は、ある親しい人の周辺からの手紙だった」と聞いたからです。皇太子妃決定過程に関連した人の手紙の一部に傷つくような表現があったとか。「雑誌などの平成流皇室に対する批判に苦悩する最中、心にかけていた相手側のメッセージだっただけに、強い衝撃と絶望感で倒れた」のだそうです。
差出人を見て、十分に中身を確かめずに手紙を届けた古参侍従は、自らを責め、後悔の涙を流した、とも聞きました。
皇后が倒れた朝に公表された誕生日の文書回答で、皇后はこう記していた。
「どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います(中略)批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が、繰り返し許される社会であって欲しくはありません」
言論の自由が萎縮してはならない、と述べたのです。「皇室の務めは災害見舞いではない」「皇居の奥で祈るだけでよい」との守旧派の批判に、天皇、皇后は耳を傾けつつも決して屈しなかった。
その後も戦争の犠牲、災害の犠牲に現地を訪れて祈りを捧げ、国内外の人々とふれあい、絆を結ぶことに全身全霊で努め続けた。
生前退位も、こうした象徴のありようを十全な形で次世代に継いでもらいたいとの思いからでしょう。
(構成/本誌・永井貴子)
※週刊朝日 2018年10月19日号より抜粋