長きにわたってオウム真理教の取材を続けてきたジャーナリストの江川紹子さん。事件から何を教訓とすべきなのか、そして江川さんの目に現代社会はどう映るのか、作家の林真理子さんが聞きました。
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林:地下鉄サリン事件から23年ですが、あのころよりも生きづらい感じがしますか。自民党総裁選で、安倍(晋三)さんが3選されましたけど、世の中ちょっと違うほうに行ってるんじゃないか、とか。
江川:そうですね。世の中全体が“カルト化”しているように思うんです。オウムなどのカルトの特徴だと思っていた現象が、今は社会のあちこちで見られるようになった。オウムって本当は、“時代のカナリア”だったのかなと思うことがあります。
林:なるほど。カナリアといえば、有毒ガスに敏感だということで、警察がカナリアが入った鳥かごをさげて、サティアンに入っていきましたよね。オウムというのは、実は時代のカナリアだったんじゃないかと。
江川:たとえば、「正義はわれにあり。それに敵対するものは悪である。悪はたたきのめさなければならない」というふうな、“全否定・全肯定”の傾向が、今あちこちに見られていますよね。
林:はい、それはすごくありますね。
江川:「これが正しい」となったら、違う情報を提供しても耳を貸さないし、心に入らない。とにかく「これだ!」となって、それに合うエビデンスだけしか受け入れない。そういうカルト的な特徴が、オウムほど濃くはないにしても、社会全体に薄く広く見られる感じがするんです。
林:よくわかります。先日の「新潮45」問題(注:8月号でLGBTについて「生産性がない」と否定した自民党の杉田水脈衆院議員の論考を掲載したのに続き、10月号で論考を擁護する特集を組み、批判が噴出した問題。発行元の新潮社は9月25日、同誌の休刊を発表)なんかもそうですよね。杉田さんの発言が批判されると、「あの発言のどこが悪い」と雑誌全体が彼女を応援して、反対意見をたたきましたけど、やるなら賛否両論を載せるべきです。どちらかの意見だけに偏るのは、違うんじゃないかと思います。