今の家にも地下に彼女の秘密の部屋があって、チベットの関連資料がすごいことになってる。考古学者ももだえ苦しむぐらいのラインアップ。そこから適当に選んで、のんびりパラパラめくるのは至福の時間ですね。人生って、いろんなことがつながっているんだなあ、と感じます。

 振り返れば、彼女には助けられっぱなしです。作家になったばかりのころ、夜中の1時だろうが2時だろうが、家に編集者から電話がかかってくる。彼女が出ると「どこ行きましたか? いつ帰りますか?」と聞かれる。「わかりません」と返すと「奥さんなのに旦那の居場所もわからないんですか」って説教するヤツもいたらしい。彼女は彼女で仕事をしていたから、夜中の電話だけでも迷惑なのに、説教までされたらたまったもんじゃない。

 それに、辺境の地に取材に出かけたら、帰ってくるまで生きているか死んでいるかもわからない。「もう勘弁して!」と言われたら、ノンキに世界中飛び回ってはいられなかった。でも、何も言わず、黙って後ろから支えてくれている感じでした。

 一方、彼女は僕より熱血漢というか、子育てが終わってから、チベットの奥地にしょっちゅう出かけて、何カ月も連絡が取れないこともあった。

 何度か一緒についていったこともあるけど、こっちは高地に慣れていないから、おいていかれるんです。「待ってくれよ。この薄情もの」とか言いながら、必死でついていく。そんな姿にもたくさん刺激をもらっている気がします。

――その妻との間にふたりの子どもにめぐまれた。長男を描いた『岳物語』(85年)など家族の「私小説」も、広い支持を集めている。家族の存在は、人生や作品に新しい意味を与え続けている。

 息子の岳は、45歳になりました。長くアメリカに住んでいたんだけど、7年前に日本に戻ってきて、今は中学生と小学生の3人の子どもと近所に住んでいます。孫はかわいいですね。自分がここまで「孫バカ」な「じいじい」になるとは、まったく想像していませんでした。何よりの宝物であり、最高の遊び仲間です。

 最初に岳のことを書いたのは、彼がまだ小学1年生ぐらいのとき。締め切りに追われて何を書こうと悩んでいるときに、目の前に泥んこになって帰ってきた息子がいた。一回のつもりで書いたら、また書いてくれと言われて、何冊にもなりました。

 長女は利発だったから、小学生なりに何かを察したんでしょうね。「私のことは書かないで」と言われたので、ぜんぜん書いていません。

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