9月20日投開票の自民党総裁選は安倍晋三首相と石破茂元幹事長の一騎討ちになる様相だ。形勢は安倍首相が圧倒的に有利で、国会議員票の7~8割を固めたとみられる。安倍一強という権力に立ち向かう石破氏は単なるドン・キホーテに終わるのか。それとも……。
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「石破さんはつねづね、『負ける戦いはしない』と言ってきた。それなのに今回は負け戦とわかっていて、挑んでいる。総裁選に6年ぶりに手を挙げた。政治家としての成長を見ました」
鳥取砂丘の見える日本海の海岸沿いの岩戸出身の元鳥取県議・奥田保明氏はこう話した。8年間も石破氏秘書を務めた。
石破氏のルーツを追って地元を歩いた。父・石破二朗氏は鳥取県大御門村(現・八頭町)の出身で、鳥取県知事を15年務めたのち、1974年、参議院議員に当選。自民党田中派に所属した。なぜか、田中角栄氏とうまが合い、鈴木善幸内閣のとき自治大臣に就任したが、任期わずか5カ月で病魔に倒れた。母方の祖父も戦前は徳島県知事、山形県知事などを務め、両親はいわば知事ファミリーで、3人きょうだいの末っ子が茂氏で、2人の姉がいる。
鳥取駅近くの郵便局前には、郷土の英雄として、石破二朗氏の銅像が立っていた。全国都道府県議会議長会長も務めた鳥取県議の山口享氏はこう述懐する。
「父親の二朗さんは、県民からたいへん人気のあった人。駅前に銅像が建てられたことからもわかる。鳥取県知事時代は『ツバメと県民は知事室へ』といった言葉をスローガンにしていた。ツバメはよく鳥取に飛んでくるんです。情報公開がそれほどまだ厳しく言われてなかった時代に、県民の声に耳を傾け、知事室を開放していた」
父・二朗氏は81年に死去。田中角栄氏が葬儀委員長を務めた。
「角栄さんはヘリコプターで鳥取まで来て、葬儀に出てくれた。石破家の墓に刻まれている文字の元を書いたのは角栄さんなんですよ」(石破家の親族)