「こんにちは赤ちゃんがレコード大賞を受賞しました」と書かれた一枚の写真。
故・永六輔さんのアルバムに残されていたこの写真を見た梓みちよさんは、「懐かしいわ」と微笑んだ。
「こんにちは赤ちゃん」「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」などのヒット曲の作詞を手がけ、「夢であいましょう」をはじめとする人気番組の構成作家や、テレビ・ラジオの司会者として幅広く活躍した永六輔さんが、2016年に83歳で亡くなって2年。
3回忌を迎え、娘の麻里さんが、遺品のアルバムを整理するために朝日新聞社の写真サービス「ニッポン写真遺産」でデジタル化したことから、見つかった写真だ。
「永さんとの出会いがなければ「梓みちよ」という歌手は誕生しませんでした」と梓さんは振り返る。
はじめまして わたしがママよ――永六輔さんが作詞、中村八大さんが作曲して、梓さんが歌った「こんにちは赤ちゃん」は、1963年11月に発売されるや否や100万枚を超える大ヒットとなり、その年のレコード大賞を受賞。梓さんはこの曲で紅白歌合戦にも初出場した。
「この曲をいただいたのは、私がデビューしたばかりのころでした。当時20歳と若かった私は戸惑って、『こんにちは赤ちゃん、なんて、ママでもないのにどうやって歌えばいいんですか』と永さんに聞いたところ、「いいかい、女性はみんな母性本能があるんだ。玉のような可愛い赤ちゃんを胸に抱いていると思って歌えばいいんだよ」とアドバイスをいただいたのを覚えています」と梓さんは当時の思い出を明かす。
「けれど、ヒット曲の十字架とでも言うのでしょうか。どこに行っても、どの番組に出演しても、「こんにちは赤ちゃん」ばかりだったので、歌いたくなかった時期がありました。私には他にもいい曲があるのに、どうして…と。
そんなある日、アメリカで「こんにちは赤ちゃん」を歌う機会があったのですが、お客さんとして来ていた現地在住の日本人の方々が、涙をポロポロ流して聴いてくださって。その姿を見たときに、人が涙を流してくれるほど、こんなにも素晴らしい曲なのに、何で今まで避けてきたんだろう……と、自分の愚かさに気づかされました。その日のことを思い出すと、今でも胸がいっぱいになります」