死刑執行されたオウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫ら7人の元死刑囚の死で一連の事件が終わったワケではない。オウム信者が原発に検査作業員として組織的に入り込んでいた──。その驚くべき実態を週刊朝日が報じたのは、地下鉄サリン事件が起きた後の1995年夏。記者の問いに対して当時、武闘派でならした元信者は、原発に潜入して原子炉の安全管理にかかわる資料を持ち出すとともに、「爆弾をしかけることだってできた」と豪語した。なぜ、オウムは原子炉まで接近できたのか。そして本当に原発ジャックの危険はあったのか。
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「当時、原発で働いてオウムにお布施することは当たり前だった。その金額でほめられることもありました。原発マネーで麻原の本を買った。教団も原発の仕事を斡旋する信者を大事にしていました。原発で仕事した信者がそのまま居着いて、原発労働者になっていますよ」
こう話すのは、1993年ごろから昨年まで原発で働いていた元オウム信者Aさんだ。さらに、こうも話す。
「麻原の死刑を聞いて『これで終わったな』と思いました。昔は尊師のためと、暑いなかでも原発で仕事していました。福島第一原発に行ったこともありましたよ。今思うと、なんで麻原や教団のために原発でしんどい仕事をして、お布施したのかと思います。そう、死刑になった早川紀代秀(元幹部)は、原発のことをよく聞いてきましたね」
本誌が接触した95年当時、20代だったAさんの証言をもう一度、徹底検証した。
「原発を占拠するなんて簡単にできた。爆破することも、原発内で人質をとってジャックすることも可能だった」
Aさんは、1994年までオウム真理教の出家信者で、教祖の警護を担当した武闘派だった。93~94年にかけて、東京電力の福島第一、第二原子力発電所、中部電力の浜岡原子力発電所の3カ所の原発で、合計11カ月間働いた。仕事の内容はいずれも原発内の検査作業である。
「どの原発にも、5~10人のオウム信者の検査員が入っていた」
とAさんはいう。