『虚構の時代の果て──オウムと世界最終戦争』の著者で、社会学者の大澤真幸さんは「事件が一部の特異な人たちの犯行だと考えるべきではない」と強調する。

「オウムは、社会に人生の希望や理想を見いだせなくなった時代に出てきた。信徒たちが抱いたような虚無感は一般の人々にもある。人生について真面目に考えている人ほど、オウムのようなものに魅了される」

 若者が社会に矛盾や疑問を感じるのは世の常。心のすき間に入ってきた麻原は決して特別な存在ではないと分析するのは、立正大教授で社会心理学者の西田公昭さんだ。一連の事件で、心理鑑定を担当した。

「あの手の特別さは麻原が唯一無二ではない。心の闇を抱えている人に、あたかも簡単に解決してあげられるかのように、ウソの手を差し伸べれば、ピタッとはまります。今後もカルト的なものが問題になることはありうるのです」

 事件当時よりも社会の閉塞感は広がっており、若者は日本に明るい未来を感じていないと思うからだ。

「このまま社会に出ていってうまくいくんだろうかと思っている大学生や、就職しても結局は会社の中でうまくいかない若者は少なくない。そういうところに、ポンッとカルト的なものが入ってきたら、パッと食いつきますよ」

 事件を境にして、社会のありようが大きく変わったという見方もある。有田さんは、こう振り返る。

「監視社会になりました。街中に監視カメラが設置されて、日常生活が監視されている。それによって犯罪が明らかになるなど良い面もあるが、あれから23年で、相互監視が当たり前の社会になった」

■ヘイトスピーチ、根底に同じもの

 森さんは、事件は政治の在り方にも影響を与えたとみている。

「極論を言えば、事件がなければ安倍政権は誕生していなかったと思います」

 事件と政権を直接結び付けることはできないが、森さんの見立てはこうだ。

「あの事件によって社会の不安と恐怖が刺激された。人は不安と恐怖をもつと集団でまとまりたくなるのです。集団でまとまるとみんなと同じ動きをしたくなる。そのためには、同じ動きをしないものは排除していく必要があり、それには強いリーダーが欲しくなる。リーダーは自分への支持を集めるため、共通の敵を探したくなる」

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