盲学校卒業後に上京し、東京大学を目指した。しかし、予備校で出会った女性との間に子供ができて結婚。受験は諦め、千葉県船橋市で鍼灸院を開業した。
82年ごろから宗教活動を始め、都内でヨガ教室を開いた。84年に教団の前身となる「オウム神仙の会」を発足、87年にオウム真理教と改称。89年には宗教法人としての認証を受けた。90年2月の衆院選には、麻原ら幹部が立候補したが、全員が落選した。
それと前後して教団は暴走していく。89年には、元信徒の男性が殺害される事件が発生。同じ年に坂本堤弁護士一家が教団幹部によって殺害され、94年には長野県松本市の裁判官官舎を狙ってサリンを噴霧し、翌年に地下鉄サリン事件を起こした。
同年、麻原は逮捕され、翌年から裁判が始まったものの、首謀者は事件について具体的な内容を語ることはなかった。2006年に死刑が確定。特別手配されていた元信徒が12年に相次いで逮捕され、今年1月にすべての裁判が終了した。
一連の事件では、「救済のため」には殺人も許されるという残忍な教義に注目が集まった。ただそれだけでなく、将来性のある若者を教団が惹きつけていたという点も世間を驚かせた。
「信徒たちは、普通の善良な人ばかりで、それにまずびっくりしました」
と話すのは、信徒たちの日常生活を追ったドキュメンタリー映画「A」の監督を務めた森達也さんだ。
「社会を振り返ったときにも驚きました。オウムに対して、すさまじい憎悪の目線があったのです」
ジャーナリストで、93年からオウム真理教を取材してきた有田芳生さんも、次のように話す。
「信徒は総じて、優しくて普通の人ですよ。何でああいう真面目な人がオウム真理教に入ってしまったのか。23年間、何も教訓が引き出せていない」
事件が起きたのは、バブルがはじけたころ。「こんな状態は長くは続かない」と経済成長の限界を誰もがうすうす感じていた。そんな時代に、「ハルマゲドン」が近づいていると説き、生きる意味を示したのがオウム真理教だった。