■宗教とカネ
予備校へ通うため、22歳で東京へ。このころ周囲には、「東大の法科へ行って政治家になる」と話していたという。
「代々木ゼミナール」に通い始めてまもなく、通学電車の中で同じ代ゼミに通う女性と知り合った。彼女との間に子どもができると、東大受験を諦めて、78年1月に結婚した。
新婚の二人は千葉県船橋市に「松本鍼灸院」を開いた。同年7月には長女が誕生。9月には鍼灸院を閉じ、市内の別の場所に診療室兼漢方薬局の「亜細亜堂」を開いた。
麻原の著書『超能力「秘密の開発法」』によると、麻原が宗教に目覚めたのは、このころだった。鍼灸治療で完治したはずの患者が、元の生活に戻ると、すぐに再発してしまう。その様子を見て、「自分は無駄なことをしているのではないか」という疑問がわいたのがきっかけだったという。
<そのとき初めてわたしは、立ち止まって考えてみたのである。自分は、何をするために行きているのだろうか、と、この"無常感"を乗り越えるためには、何が必要なのだろうか、と>
こうして麻原は運命学や漢方、仙道(仙人の術)に熱中するようになった。
亜細亜堂は繁盛したが、80年7月、健康保険薬剤不正請求で670万円を追徴され、閉店した。近所の医者から白紙の処方箋を入手し、適当な金額を記入しては、健康保険組合などに調剤報酬などを不正に請求していたのだ。
閉店の1カ月後、麻原は阿含宗に入信。さらにヨガや「肉体修行を通じて個人的な解脱を目指す」小乗仏教的世界にのめり込んだ。
81年2月には「BMA薬局」を開業したが、翌82年7月にニセ薬を売った薬事法違反容疑で逮捕された。煎じたミカンの皮などから取り出したエキスを「万能薬」と称し、「リューマチ、神経痛、腰痛が30分で消える」などという謳い文句で都内の高級ホテルの一室に人を集めて10万円近く販売。売上は1千万円以上に膨らんだ。麻原は略式起訴されて罰金20万円を支払い、再び店を閉じた。
この二つの事件を振り返ると、盲学校時代に垣間見えた麻原の危うさが肥大し、はっきりと形になってきているのがよく分かる。
麻原は、カネへの執着の強さから、27歳で詐欺師になり果てていた。(年齢肩書などは当時)
*選挙での惨敗が麻原彰晃を凶行へ… 背景に幼少時代のトラウマ <麻原彰晃の真実(2)>へつづく
※週刊朝日 緊急臨時増刊「オウム全記録」(2012年7月15日号)から抜粋