日本大学のアメリカンフットボール部の選手が、相手側の選手にタックルし、けがをさせた問題で、その行為がコーチ・監督の指示かどうかで大騒動となりました。私は、これこそ、大人が子どもを利用して、自分たちを優位な方向へもっていこうとした、顕著な例だと思っています。試合の後、コーチと監督が会見をひらき、「指示をしていない」と否定しました。コーチは、相手の選手を「潰してこい」と言ったのは事実だけれど、それは「そのくらいの覚悟で挑め」という気持ちの問題であり、「相手の選手にけがをさせてこい」という意味ではない、と主張したのです。

 ただ、はっきり言わせてもらえば、会見の最初に「信じていただけないと思いますが」と前置きしている時点で、テレビを見ている人の大半は「ああ、指示したんだろうな」と推測したことでしょう。私なら、テーブルの上に空のお菓子の袋が散乱していて、周りに誰もいないレベルの疑わしい状態でなければ、「信じてもらえないかもしれないけど、私はお菓子を食べていない」なんて言葉は使いません。つまり、「客観的に自分に非がある状況にみえている」ことは自覚しているわけです。

 だというのに、視聴者が信じるに至るまでの理由を説明するわけでもなく、単純に「けがをさせろという意味ではない、精神論だ」と言ったところで、説得力がなさすぎて、疑いを晴らすことなどできはしないのです。自分達はやましくない、完全に清廉潔白であると思っている立場の人間なら「信じてもらえると思っています」くらい言うでしょうし、つけ加えれば、時間的にもすぐに会見を開けるはずです。会見までに長期間の沈黙があったことにより、世間の疑惑はどんどん監督とコーチに集まることとなりました。

 そして、関東学生連盟の規律委員会は、「論理的思考」を取り入れることで、そんな監督とコーチの主張をキッパリと退けてくれました。まず、コーチは選手にむかって「相手のクオーターバックと知り合いなのか」「相手のクオーターバックがけがをして秋の試合に出られなかったらこっちの得だろう」という二つの発言をしています。物理的な「潰してこい」ならば気になる点ですが、もし精神的に気合を入れさせるためならば、特定のポジションであるクオーターバックとの人間関係など全く関係ないことです。「相手のクオーターバックがけがをして秋の試合に出られなかったら」などという不穏すぎる仮定の話が、一体どこを探したら出てくるのかまったくの謎です。

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